個人の自律性のシステム論的考察
──アクター、エージェント、システム──
徳安 彰
1.「行為と構造」問題と個人の自律性
本報告では、「行為と構造」というセッションのテーマを、個人の自律性という観点からシステム論的に考察する。
「行為と構造」という問題は、古典的には、(諸個人の)行為が(社会の)構造をつくるのか、(社会の)構造が(諸個人の)行為を規定するのか、という問いとして考えられてきた。この問いは、個人主義対集合主義という理論的、方法論的な二項対立を生み出したが、それと同時に、その二者択一的な問いの構造が、行為と構造あるいは個人と社会の関係の把握を困難にしている、という直感的な了解もまた広く存在した。
その背景には、個人の主体的な自由を擁護するという強い意味であれ、あるいは個人の偶発的な逸脱を担保するという弱い意味であれ、社会過程の中に何らかのかたちで個人の自律性を見る認識がある。
2.社会の機能的分化と個人の析出
こうした個人の自律性の考え方の基底には、何かしら個人が社会構造から「はみ出す」存在である、という見方があるように思われる。個人はどのようなかたちで社会構造からはみ出す存在であるのか。それを社会の分化形態との連関の中で示したのが、ルーマンの包含と排除という考え方である。
ルーマンによれば、社会の主要な分化形態は、環節的分化、階層的分化、機能的分化の3つの類型に分けられる。社会進化の過程は、主要な分化形態が、環節的分化から階層的分化、階層的分化から機能的分化へと移行する過程であったとみなされる。環節的分化や階層的分化が支配的な社会では、個人はただ一つの特定の部分システムのみに属する。すなわち、ある一つの特定の部分システムにまるごと包含されるのであって、そこから排除された存在となることは例外的だった。
それに対して、機能的分化が支配的な近代社会では、個人はもはや特定の部分システムのみに属することができない。個人は、機能的に分化した部分システムに対して、ある特定の限定的なかたちでしか関与することができない。その意味で、個人はいかなる部分システムにもまるごと包含されることがないから、結果的に社会全体から排除された存在となる。逆に言えば、どの部分システムにとっても、個人はつねにシステムをはみ出す過剰な存在となる。
システムにかかわる行為が帰属されるのはつねに個人であるが、その個人がシステムの構造をはみ出す存在であることが、両者の関係を複雑にするのである。
3.個人の自律性のシステム論的定式化
個人が社会構造からはみ出す過剰な存在であるという認識は、社会が諸個人から成り立つという単純素朴な階層性の考え方に基づく概念構成では、行為と構造あるいは個人と社会の関係を十分に捉えることができない、という帰結をもたらす。
そこで出てくるのが、社会システムの環境としての心理システム、心理システムの環境としての社会システム、というシステム論的な概念構成である。心理システムは意識のオートポイエティックな再生産、社会システムはコミュニケーションのオートポイエティックな再生産によって成立する、作動上閉じたシステムであり、両者の構成要素である意識とコミュニケーションは、決して重複することがない。そして、両者のオートポイエーシスは、それぞれ自律的な過程として進行する。
このような考え方は、実は個々の人間存在そのものをさらにいくつかのレベルに分解し、そのひとつのレベルとして意識システムを定式化することによって、人間そのものが意識システムをはみ出す過剰な存在であること、あるいは人間というトータルな存在をシステム論的に定式化するのは不可能なことをも意味している。それはさておくとしても、個人の準拠点としての意識システムは、作動上の閉じという点で、社会システムをはみ出すどころか、社会システムの外部における自律性を、概念的に保証されたかたちになっている。
4.構造的カップリング
「行為と構造」という問題設定は、行為という個人のレベルと構造という社会(ないし集合体)のレベルを、何とかして一つの関係の中で定式化しようとする試みとして捉えることができる。だがその試みは、個人の自律性と秩序への服従の二律背反を、一つの関係の中で定式化しなければならないという難題でもあった。
パーソンズが、主意主義的行為理論を標榜しながら、社会化と社会統制のメカニズムを導入することによって、社会システムとパーソナリティの相互浸透という定式化をしたのも、ギデンスが、行為者(アクター)に代わるエージェントという概念を用いて、エージェントが構造に制約されながら構造を作り出していく構造化理論を構想したのも、ハーバマスが、システムと生活世界の区別を用いて、コミュニケーション的行為の中にシステムの構造的圧力に対抗する人間存在を担保しようとしたのも、すべてこの難題に対する解答の試みであったといえる。
ここでは、心理システムと社会システムという相互に自律的なオートポイエティック・システムのあいだの構造的カップリングというかたちで、両者の関係を定式化してみたい。構造的カップリングとは、システムが自己の複雑性を構築するのに、互いに相手のシステムの複雑性を利用するような関係である。この関係は、双方のシステムの複雑性の形態と履歴によって規定されるが、決して一方的な因果的規定関係は成り立たない。
この構造的カップリングの概念を用いて、「行為と構造」問題にかかわる社会化、逸脱、社会統制といった概念を新たに定式化することによって、強い意味であれ弱い意味であれ、個人の自律性を担保しながら、社会システムの独自の作動を記述する一つの理論構想が可能になる。