ドイツ社会──統一後の状況と社会学の新しい潮流
徳安 彰
社会学と社会変動
十九世紀前半にオーギエスト・コントによって社会学と名づけられた学問、それは産業革命とフランス革命によって始まったヨーロッパ社会の大変動とともに生まれた学問である。その出自からして、社会学は二つの課題を持って生まれたといっていい。一つは、大変動によって生じる新しい社会状況の実態と問題点を明らかにすること、もう一つは、大変動の趨勢を捉えて「われわれはどこへ行くのか」を展望することである。
そして二十世紀末を迎えた今日、過去二、三十年のあいだにあちこちで兆しの見えていた新たな大変動への動きが、ベルリンの壁の崩壊に象徴される冷戦構造の終結とともに、にわかに加速を始めたように思われる。政治・経済ブロックの境界の流動化、民族・人種紛争の激化、宗教の原理主義化、環境・人口問題の深刻化など、噴出する問題群は社会のありとあらゆる領域に及び、しかも地球規模に広がっていく。
社会学は今、事態の進展にいささか戸惑いつつも、誕生したころの課題に立ち戻るときがきたと感じているようだ。四年ごとに開かれる世界社会学会大会の統一テーマが、それを象徴している。一九九〇年七月スペイン・マドリッドの第十二回大会が「一つの世界のための社会学──統一と多様性」、一九九四年七月ドイツ・ビーレフェルトの第十三回大会が「争われる境界と移りゆく連帯」である。
社会学が捉えた統一ドイツの問題
前置きが長くなった。ここでの本題はドイツである。日本のテレビでも何度繰り返されたことだろう。ベルリンの壁にツルハシを打ち込み、そして壁を乗り越えて歓喜の握手をする東西ベルリン市民のあの姿。「壁の崩壊」は、冷戦構造によって分断された世界の終焉の象徴となった。ドイツにとってそれはまた、四十年にわたる国家分断の終結と新たな統合の象徴でもあった。
希望に満ちた国家統一、だがそれは同時に苦渋に満ちた社会統合の始まりを意味した。新たな社会問題が、さまざまな領域で姿を現わしてきた。世界的な大変動期にみずからの社会の大変革が重なったドイツ。その問題をドイツの社会学はどう捉えたか。統合直前の最後の東独社会学会大会、そして統合後の三回のドイツ社会学会大会の主要テーマを追いながら、考えてみたい。
●最後の東独社会学会大会──社会主義的近代化の挫折──
ベルリンの壁の崩壊の興奮がまださめやらぬ一九九〇年二月、東ベルリンで第五回の、そして最後の東独社会学会大会が開かれた。直前に急遽変更された大会テーマは、「刷新過程にある社会学」。東独時代、「東独マルクス‐レーニン主義社会学会大会」と称していたこの大会の、当初予定されていたテーマは「近代テクノロジー──社会進歩」、また一九八五年に開かれた第四回大会のテーマは「経済成長の社会的推進力」だった。東独社会学会の追求してきたテーマが、公式的には百パーセント近代主義的なものだったとわかる。
ドイツの権威ある社会学雑誌のひとつ『ケルン社会学・社会心理学雑誌』が伝えるところでは、東独時代の学会大会は、専門分野の学会というより、さながら国の政治エリートを前にした社会学者の弁明大会だったという。社会学者たちは、そのときどきの党の社会政策の基本路線にそった結論を導くよう、指示されていた。そのため党大会と学会大会が、時期的にも内容的にも一致するように開かれていた。党が近代主義的路線を掲げる以上、学会大会もまた近代主義的テーマを掲げざるをえなかったわけである。
東西ドイツの統一から五年以上が過ぎ、東独時代の実態が徐々に明らかになってきた今日からみると、このテーマは欺瞞的で、滑稽ですらある。象徴的な例をつ。ある部会のテーマが、「近代テクノロジー──都市形成と都市開発に対する効果」から「民主主義的都市構造と市民本位の都市開発」に変更された。どこでもいいのだが、旧東の都市を訪れてみると、都市開発において「近代テクノロジー」が実際に作り出したものは、ひたすら機能的であることだけを理念として設計された、そして今ではすっかり老朽化して時代遅れになってしまった、あの箱型のビル群、郊外の団地群に尽きるのではないか、と思わずにはいられない。
その東の都市は今、再開発の真っ最中である。ライプツィヒを訪れたときのこと。灰色で箱型の「近代的」なビル群は、一階部分だけ化粧直しをして「西側」資本のテナントが入っている。建物の上下で新旧奇妙なコントラストだ。メルセデス・ベンツのショールームもあって、十万マルク以上する高級車が置いてある。市の中心部では、由緒ありそうな古い建物は半分くらいが改築・修復中で、改築・修復済みの大きな建物には、一に銀行、二にデパートという感じで、店舗が入っている。
市の中心に、ベルリンの壁の崩壊のきっかけとなる市民集会が開かれた、聖ニコラウス教会がある。一九八九年十月九日、手に手にキャンドルを持った数千、数万の市民が教会の内外を埋め尽くし、平和的に民主化要求の集会を持った。教会の椅子に座ってパイプオルガンの調べを聴きながら、そんなエピソードを綴ったパンフレットを読んだ。だが一歩外に出ると、市民が埋め尽くした教会前の広場も、工事中でほこりっぽい。政治の季節が終わって、経済の季節が始まる。そんな感じだった。ライブツィヒは、拠点都市だけに再開発のペースが早い。だが、汽車の窓から見た中小の都市は、まだまだ整備に時間がかかりそうで、それが、まだ埋められない東西格差の象徴に思えた。
社会主義的な近代化路線が挫折したとき、社会学も「刷新」を余儀なくされた。学会や学問内容だけではない。すべての大学の講座のカリキュラム、そしてスタッフも刷新された。多くの社会学者が西から東の大学へ行き、社会に残る東独時代の爪痕を、そして新たな問題を目の当たりにし、その社会学的解明に取り組みつつある。
●第二十五回ドイツ社会学大会──近代化の再検討──
一方、一九九〇年十月三日の東西ドイツ正式統合の直後、フランクフルトで第二十五回ドイツ社会学会大会が開かれた。大会テーマは「近代社会の近代化」。テーマ部会には「ポストモダニズムと文化理論」「生産、分業、労働団体」「社会主義社会の近代化」「西欧の統合問題」「近代化と反近代化の政治学」「自然支配、技術、社会」「階級社会、家父長制、個人化」といったテーマが並ぶ。
奇しくも、最後の東独社会学会大会の当初予定されていたテーマと同じ「近代」が取り上げられているが、その論調は大きく異なる。最大の論点は、これ以上の近代化がありうるかどうかである。一方で、東欧諸国の大変革や東南アジア諸国の経済発展といった要因によって、世界規模での近代化がさらに進展するという見方がある(「社会主義社会の近代化」という部会のテーマに注意)。しかも、社会主義的な近代化路線が破綻し、資本主義か社会主義かという対立軸が消滅した今、残されたモデルは、競争的民主主義と市場経済を基本制度とし、大量消費と福祉国家に支えられた豊かな社会というビジョンしかありえない。
もう一方で、近代化の影の部分に注目し、その再検討を求める動きがある。『リスク社会』という著書で一九八〇年代に一躍注目を集めたウルリッヒ・ベックは、豊かさを生み出し分配する近代化のメカニズムが、同時にさまざまなリスクを生み出し分配すると主張する。例えば科学技術と市場経済の結合は、豊かな社会をもたらしたかもしれないが、同時に甚だしい環境破壊をもたらした(「自然支配、技術、社会」という部会のテーマに注意)。これからの科学技術は、真理や啓蒙というこれまでの近代主義的目標を超えて、みずからの及ぼす社会的影響について自省力と批判力を持たなければならず、政治は困難な状況の中でリスク回避のためにより一層の舵取り能力を必要とする、というわけである。
ドイツの環境問題の象徴の一つに、森林問題がある。奇跡の戦後復興をもたらした工業化とモータリゼーションの代償が、酸性雨による森林破壊だった。被害の大きい州では、森林の四十パーセント以上がなにがしかの被害を受けているという。これを一つのきっかけに、ドイツでは環境保護の機運が高まり、世界でも先進的な環境政策を持つに至っている。環境問題から出発した政党の名称が『緑の党』というのも、これに無関係ではなかろう。
リサイクルにも熱心である。例えば、買い物をするとほとんどの品物に、「緑のポイント」というリサイクル・マークがついている。その品物がリサイクル可能な材質でできている印である。ただしこれは、技術的にリサイクル可能な印であって、必ずしも現実にリサイクルされていることを意味しない。ガラスや金属はまだしも、化学合成物質は種類が多すぎて、分別にコストがかかり過ぎるからである。いつかテレビで、緑のポイントが環境問題に対する企業の免罪符と化している、という主旨のことを言っていた。エコロジーとエコノミーの適正なバランスは、まだ実現には遠い。
もう一つ、ベルリンの壁の崩壊後、旧社会主義諸国の深刻な環境汚染が明らかになってきた。環境無視の工業政策のツケに加え、軍事開発に伴う危険物質の垂れ流しもあるという。ドイツも統合に伴い、旧東の地域に環境問題の点でも大きな負の遺産を抱えることになった。日の目をみなかった「近代テクノロジー──社会進歩」という東独社会学会のテーマは、この問題でも皮肉に響く。
●第二十六回ドイツ社会学大会──ヨーロッパヘの視線──
一九九二年九月から十月にかけてデュッセルドルフで開かれた第二十六回大会は、「新しいヨーロッパの生活状況と社会的コンフリクト」をテーマに掲げた。テーマ部会は「ヨーロッパヘの途上にて──法制度と社会的現実」「ヨーロッパにおける女性の職歴」「新しいヨーロッパにおける移民と人口」「ヨーロッパにおける近代化と転換のコンフリクト」「新しいヨーロッパにおける社会的不平等と社会政策」「ヨーロッパの肖像──文化的伝統と権力構造」「ヨーロッパの青少年の生活状況の変革」「『第三世界』とヨーロッパ」「ヨーロッパ諸国の地域間不平等」「エスノセントリズムとマイノリティとの交際」「巨大技術システム──超国家的視点」「文化的アイデンティティとヨーロッパの統合」「ヨーロッパのためのモデル──社会保険制度か国家公衆衛生事業か」「社会運動と公共性」「ユーロビジョン──ヨーロッパのメディア状況の変動傾向」「ヨーロッパ国際比較にみる価値変動と宗教的立場」ともりだくさんである。
『ケルン社会学・社会心理学雑誌』の論評によると、一九八八年の第二十四回大会ではまだ「文化と社会」という抽象的なテーマが掲げられていたのが、第二十五回で時代についての限定が、そして今回で地域についての限定がなされ、ドイツ社会学はより具体的研究を指向するようになってきているという。それも大変動のなせるわざかもしれない。
●第二十七回ドイツ社会学大会──変革へのビジョン──
第二十七回大会は、一九九五年四月に統合後初めて旧東地域のハレで、「変革中の社会」をテーマに開かれた。テーマ部会には「変革の時代の社会学理論」「転換の理論」「世界関係の転換」「移民と移民障壁」「ドイツにおける民主主義の発達」「物質的生活状態の同化と相違」「長期的にみたドイツの社会」「長期的にみた東欧の社会」「ライフコースとライフスタイル」「成長過程、子供時代、青年」「経済──労働、職業、大企業」「社会保障制度」といったテーマが並んだ。
世界的な大変動の中で、さらに自国の統合という事態に直面したドイツ社会学は、過去二回の学会大会で、変動の趨勢とそこで生じる社会問題の実態を、近代化の曲がり角そしてヨーロッパ地域の再編という視点から捉えようとしてきたわけだが、統合五年目を迎えて、問題を整理する現状把握型のテーマから将来展望を盛り込んだ政策実践型のテーマに移行しつつあるように思われる。旧東地域で学会大会を開催する用意が整ったことは、最後の東独社会学会大会のテーマだった社会学の刷新が進んだ証しでもあろう。
東西間題のゆくえ
統合後のドイツの抱える最大の問題は、何といっても東西格差である。だが都市構造、住宅・各種施設、交通・通信網といったインフラストラクチュアの格差、あるいは失業率や生活水準の格差のように、目につきやすく政策課題として取り上げやすい問題ばかりが東西間題ではない。東の人々が東独時代に受けたさまざまな心の傷、そして統合後に抱いた失望や違和感、それらが目に見える社会的不平等と複雑に結びついている点に、問題の厄介さがある。近代やヨーロッパといった、変動にかかわるマクロな問題設定の重要性は疑うべくもない。だがもう一方で、変動の矛盾を生きる人間のミクロな内面の宇宙にも目をむけてこそ、変動のリアリティに迫ることができよう。統合の興奮から平静を取り戻しつつある今、社会学の中に少しずつそのような視点が生まれつつある。
『21世紀フォーラム』No.56:17-19
1996年 (財)政策科学研究所