ルーマンのカードボックス(係争の顛末)

雑誌『シュピーゲル』の記事で、子どもたちの相続争いのために当分はお蔵入りかと報じられた、ルーマンの伝説のカードボックスが、裁判の決着により、研究のために公開されることになった。以下は、それを伝える裁判所のプレスリリースと新聞記事である。三谷武司氏(東京大学)の翻訳した記事内容を、三谷氏の好意により掲載する。

【裁判所のプレスリリース】
ビーレフェルトの社会学者ニクラス・ルーマン教授の学問的著作の権利は長女に

ハム高等地方裁判所は、本日布告された判決によって、ビーレフェルトの著名な社会学者ニクラス・ルーマンの2人の子供の間での分割相続について以下のように判断した。争点は何よりもまず、故人の学問的著作である。これらは、これらの著作権と、草稿、作業資料、ならびに有名な「カードボックス」のすべての所有権を含めて、いわゆる生前遺言により、故人の長女に権利がある。

ルーマン教授は世界的に著名な学者であり、1967年から1993年まで社会学の教授としてビーレフェルト大学に奉職した。この間、彼は多数の著書や論文を公刊したが、その際、手製のカードボックスを学問的作業に利用した。彼は自分でつくり上げたシステムに従い、草稿その他の文書を、このカードボックスの中に収納していったのである。このカードボックスは現在、ビーレフェルト大学の学際研究センターの部屋に保管されている。

相続争いは故人の遺言書の解釈をめぐって発生した。これは特に、長女のために書かれた生前遺言の範囲をめぐる争いであった。争点は、長女に遺贈されたのは単に生前出版された著作の複写、販売、許認可に伴う収益だけなのか、それともそれらの著作ならびにすべての草稿一般の著作権なのか、ということであった。

高等地方裁判所は遺言書を解釈し、故人の長女が、彼の学問的著作に関わるすべての権利の所有者となっていることを確定した。長女に報酬請求権のみを認め、出版社との契約から発生するその他の権利と義務をすべての相続人に属すると判断した場合、それが故人の意志に沿ったものであるとは言えないとされた。

同じことが、著作権についても言えた。著作権は譲渡不可能であり、共同相続人あるいは相続共同体にしか委譲できない。しかし、何十年にもわたってすべての相続人が共同で著作権を行使することは、故人の意志ではなかった。故人の遺稿は、すべてひとまとめに処理されることが個人の意志であった。

OLG Hamm Urteil vom 29.07.2004, Aktenzeichen 10 U 132/03

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【tazの記事】
ルーマンの遺産、公開される
昨日、ルーマンの伝説のカードボックスをめぐる係争に決着がついた。長女がすべて相続することになった。

ハーゲン、taz
ビーレフェルトの社会学教授ニクラス・ルーマンの伝説のカードボックスは学問上の遺産であると同時に所有権の対象でもあり、相続人の間で分配することはできない。昨日、ハム高等地方裁判所(OLG)第10民事部は、世界的に著名な学者の精神的遺産をめぐる家族間係争に判決を下した。OLGの判断によると、長女でレムゴ在住のヴェロニカ・ルーマン・シュレーダーが単独で、カードボックスを含めた全著作の所有権と著作権を有するとされた。1998年に71歳で亡くなった学者の2人の息子は、父親の精神的遺産をまったく相続できないことになった。学者は存命中の1995年、出版と許認可に関わるすべての権利を長女に遺贈する生前遺言を作成していたため、第10民事部にとって所有権問題は明らかであった。この遺言には、自らの精神的遺産を分割しないというルーマンの意志が明確に表現されている。上告は認められなかった。

長女と2人の息子は、特に大学者の伝説のカードボックスに対する権利について争っていた。このカードボックスは専門家の間では計り知れない学問的意味と、高い物質的価値を持っている。そのため、基金を設立して、数百万単位でルーマンの遺産を買い取ろうという提案もあった。そのためまた、5月に裁判所が提示した100.000ユーロの示談金支払による和解案も採用されなかった。

ルーマンは多数の著書や論文を公刊しているが、このカードボックスこそが主著だとされている。彼は30年間にわたって、メモや自分の理論に関するアイデアを書き留めたものをこのカードボックスに入れてきた。これまで、長女と息子たちの間の相続争いによって、このカードボックスの評価は禁じられていた。このカードボックスは長い間、ルーマンが1967年から1993年まで奉職したビーレフェルト大学の「学際研究センター」に封印されてきた。この社会学教授の死から6年後のいま、カードボックスを開封し、待望されていた「精神的内容」の研究が可能になった。

クラウス・ブラント
2004年7月30日
taz Ruhr Nr. 7422 vom 30.7.2004, Seite 4, 77 Zeilen (TAZ-Bericht), KLAUS
BRANDT