ナショナリズム研究 文献リスト




作成途上です!

・・・・・・できあがっている部分だけを公開します。完成のめどは全くついていませんが(というよりも、おそらく完成することのない作業でしょう)、時間をかけて徐々に充実させていきたいと考えています。 



以下はナショナリズムに関する文献のリストと簡単なコメントあるいは解説です。以下の三つのパートから構成されています。

【1 概論・理論】
[第二次大戦前]
[第二次大戦後]
[最近のものから]
[規範理論]
[グローバル化の中の国民国家/ネーション]
[日本語で書かれたもの]
[辞典類」

【2 比較研究】

【3 各国事例研究】
[日本]


<<国家論>> 
(別のページに「国家」に関する文献を集めました)



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【1 概論・理論】

[第二次大戦前]
●J. Ernest Renen, Qu'est-ce que'une nation?, 1882
1882年ソルボンヌ大学の講演。「ネーションは日々の住民投票」という有名な文句が登場する。ドイツでのフィヒテの『ドイツネーションに告ぐ』と並ぶ古典的「ネーション」観が表現されている。フィヒテが「エスノ文化的」であるとすると、ルナンは「市民的」ということになる。アルザス=ロレーヌをめぐるフランス的立場を表明したナショナリストの論でもある。しかし、分析の面でも、色々と学べるものも多い。邦訳あり(鵜飼哲ほか訳『国民とは何か』、河出書房)。

Otto Bauer, Die Nationalitätenfrage und die Sozialdemokratie. 1908

アウストロ・マルクス主義の民族理論。ネーションを文化的構築物ととらえ、その形成過程を分析している。ベネディクト・アンダーソンに影響を与えているのではないか。邦訳あり(御茶ノ水書房)。

●Max Weber, "Politische Gemeinschaften", "Ethnische Gemeinschaftsbeziehungen" in Wirtschaft und Gesellschaft.
1910-1914年に書かれ『経済と社会』のなかにおさめられたもの。「政治共同体」は国家と帝国主義の論考に続いて「ネーション(国民)」が分析の対象となる。「エスニックな共同社会関係」はエスニシティとネーション(国民)についてとりあげている。短いが鋭い分析。前者は濱島朗訳( 『権力と支配』みすず書房、1954年、「第三章 政治形象。「国民」」)、後者は中村貞二訳(「種族的共同社会関係」『みすず』9-10号、1977)と川上周三訳(「種族的共同社会の諸関係」『鹿児島大学社会科学雑誌』第11号、1988年)がある。

●Carlon J. H. Hayes. The Historical Evolution of Modern Nationalism 1931
おそらく最初の社会科学的なナショナリズムの研究書であろう。「人道的」「リベラル」「伝統的」「ジャコバン的」「経済的」「統合的integral」の6つの類型論が有名。


[第二次大戦後]

Hans Kohn, The Ideas of Nationalism, 1944
古典の中の古典。もちろん古さは感じさせるが、ナショナリズムの発生を市民革命の勃興に求める議論や、「西のナショナリズム」対「東のナショナリズム」の対抗図式は、現在でも議論の素材になっている。しかも著者の博覧強記に圧倒される。2005年にはクレイグ・カルフーンの長い序文のついた新版が出版されている。邦訳が求められるが、なかなか難しいだろう。とりあえず、大澤真幸編『ナショナリズム論の名著50』でのこの本の解説を参照してください。

E.H.Carr, Nationalim and After, 1945
コンパクトで明晰な分析。ナショナリズム発生から第二次大戦終結までのヨーロッパのナショナリズムの歴史的変遷を四つの時期に区切って論じている。かつてはかなり有名だったようだが、現在はあまり省みられることが少なくなっている。邦訳はあるが絶版。

Karl Deutsch, Nationallism and Socal Communication, 1953
ナショナリズム研究の忘れられた名著。ホブズボームは下記の著作で「もはや学ぶところはない」と切って捨てているが、コミュニケーションの近代化という観点からナショナリズムの発生を分析する視点は重要であろう。また、コナーはドイッチュとの対峙しながら「エスノナショナショナリズム」を論じている。

Elie Kedourie, Nationalism, 1960
ナショナリズムを近代のイデオロギーとしてとらえたもの。翻訳あり(学文社)。カントの「自律性」の哲学からフィヒテをはじめとするドイツ・ロマン主義への転化を論じ、また市民革命時代の「人民主権」という理念が「民族自決」というナショナリズムの理念につながったとする議論。啓蒙思想とロマン主義、民主主義の理念とナショナリズムの理念との間の断層と連続性をともにとらえたもの。ナショナリズムの思想(イデオロギー)の内容に正面から切り込んだこのような研究は、これ以後しばらくの間、それほど多くは出されていないかった。その点でも重要な研究として位置づけることができる。必読の古典の一つであろう。なお、ケドゥーリはこの後、アジアやアフリカのナショナリズムの研究に向かう。

Anthony D. Smith, Theories of Nationalism, 1971
現在は「近代主義」批判の論客として知られるスミスも、かつてはむしろ「近代主義的」であったことを示している著作。近代化の影響下での「疎外された知識人の危機」と、その知識人の果たす役割に注目している。スミスの議論全体を理解するには、「エトニー」をめぐる80年代のスミスとこの著作をつき合わせてみる必要がある。

Charles Tilly, ed., The Formation of of National State, 1975
ナショナリズムについての研究というよりも、国家形成史研究である。1400年代からナポレオン時代あたりまでのヨーロッパにおいて、領域をより一体的に統治する近代国家が形成されていく過程を、歴史的事例を交えて分析したもの。編者ティリーの他、政治史学者のサミュエル・ファイナー、財政史のガブリエル・アルダンなどが優れた論考寄せている。軍事や財政制度などに着目し、「戦争への準備が近代国家をつくった」という視点から分析が展開されている。国家研究としては画期的な論考。また、このような国家が「国民」を生み出すことになるのだが、この論文集が扱っている時代の国家を「国民的国家national state」と呼ぶのは、若干時代錯誤の感も否めない。「領域国家territoral state」と呼ぶほうが、より適切だろう。ティリーは後の1990年の著作(後述)で、「国民的国家national state」を「国民国家nation-state」と区別し、後者はフランス革命以後に発生したという立場をとっている。

George L. Mosse, The Nationalization of the Masse: Political Symbolism and Mass Movements in Germany from the Napoleonic Wars Through the Third Reich, 1975
ドイツからの亡命歴史家モッセの著作。ナチズムに至るドイツの政治文化の歴史を「大衆の国民化」という視点から明らかにする。記念碑、祝祭、合唱、射撃、体操、美術などが、大衆のアイデンティティを国民化する文化装置とし分析される。邦訳あり。

●Michael Hecter, Internal Colonialism: The Celtic Fringe in British National Development, 1975 [1999, with a new introduction and a new appendix]
次のネアンとともに、イギリス(ブリテン)を対象に、産業の不均等発展が周辺部のナショナリズムを発生させたという議論を行ったことで有名な著作。「国内植民地」という言葉は、分析の概念のみならずナショナリズム自体の内部でも広く用いられるようになた。どちらかというと論文集に近い下記のネアンの著作に比べ論述には体系性があり、、歴史をクロノロジカルに追いながら、イギリス帝国の形成、産業の不均等発展、周辺部のケルト系ナショナリズムの発生を、数量的データをふんだんに用いながら検証している。また、ネアン同様、その経済還元論を批判されたが、ヘクターはその後「文化的分業」という概念を用いて応戦している。ヘクターは合理的選択論の社会理論家としても知られ、Princiles of Group Corporation (1987)は邦訳もある(ミネルヴァ書房)。

Tom Nairn, The Break-Up of Britain, 1977
本書の大部分はイギリス、スコットランド、ウェールズのモノグラフ的研究だが、「不均等発展」からナショナリズムの発生を理解するという理論的視点が提示された名著。フランクなどの、いわゆる「従属理論」が出てきた時代背景を受けている。しばしば経済決定論と批判されているが、よく読むと周辺化された知識層の果たす役割に注目するところなど、なかなか面白い。また、「近代化」という社会学的問題とナショナリズム分析を連結させた(ドイッチュとは違った視点から)視覚の広さも注目に値する。また、マルクス主義の立場からナショナリズムの問題を扱ったものとしての意義もあり、イギリスの左翼社会科学系雑誌『ニューレフト・レビュー』を通じて、後のベネディクト・アンダーソンにつながっていく。

Hugh Seton-Watson, Naions and States, Westview, 1977
アンダーソンが『想像の共同体』において頻繁に参照している著作。「ある共同体の相当数のメンバーが自らネーションを形成していると見なしているとき、あるいはあたかもそうであるかのように行動しているとき、ネーションは存在する」という、当事者視点を徹底させたネーションの定義が有名。各ケースの分析も、ネーションの観念、特にナショナルな言語や文化の定義と、そこにかかわる知識人や政治権力を分析している。数多くのケースが地域ごとにまとめられて論じられていて、辞典的な使い方もできる。

Anthony Smith, Nationalism in the Twentieth Century, The Australian National University Press, 1979
ファシズムは人種主義(レイシズム)を特徴にしているのでナショナリズムではないという独自の理解が展開されている。これには異論も出されるだろう。また、これには正統派ユダヤ教徒であるスミス自身の事情もからんでいるかもしれない。邦訳あり(現在講談社学術文庫から、改訳の上出版されることが予定されているという)。

Anthony D. Smith, The Ethnic Revival, Cambridge University Press, 1981
おそらく前期のスミスと、「永続主義」のスミスとをつなぐ著作。「インテリゲンツィア」の役割に関する分析が優れている。同時に「エトニー」という概念も提出されている。

John Armstrong, Nations before Nationalism, The University of North Carolina Press, 1982
アンソニー・スミスに多大な影響を与えていることで有名な著作。スミスはこの著作に出会ったことで自覚的な「永続主義者」に転じたようである。用語法もいくつかをアームストロングから借用している。この著者は、中東、ヨーロッパの古代中世を対象に、「ナショナリズム以前」のエスニック・アイデンティティを論じている。そこでアームストロングが強調するのは、polityと呼ぶ政治権力(王国、帝国など))であり、それによって形成された「神話構成素mythomoteur」がナショナリズム以前のエスニックアイデンティティとなっているという議論を展開している。その点、より民衆的な共同性を強調するスミスとはやや立場が違っているように思われる。

Benedict Anderson, Imagined Communities, Verso, 1983 [1991, revised and extended edition]
出版されて20年足らずでナショナリズム研究の不滅の古典を占めている名著。ネーションを「想像の共同体」ととらえた視点の新鮮さと鋭さは広く国際的に認められている。特に「出版資本主義」(出版物が商品として流通し、広範囲の読者層が形成されるようになること)や「巡礼」(エリートのキャリア形成過程における地域間移動)といった要因からナショナリズムの出現を分析するアンダーソンの語り口は、実に巧みである。また本書の特色は、アメリカにナショナリズム発祥の地を求める反ヨーロッパ中心主義的立場である。そのこととも関連していようが、この著書のもっとも優れた分析はアメリカおよび東南アジア(アンダーソンのフィールド)にある。ヨーロッパに関する分析は、ヨーロッパのナショナリズム研究者(ブルイリーやオットー・ダンら)からはあまり高く評価されてはいないようである。また、本書での日本に関する分析は最悪に退屈な箇所である(日本人の研究者はあまりこのことを指摘しないが)。さらに全体を通して、常に学問的に厳密な議論が展開されているわけではなく、そのセンスにまかせて印象論的な記述に走る部分もある。たとえば、ダンは『ドイツにおけるネーションとナショナリズム』(1993)の最後の文献紹介の中で、「国際的な生活スタイルを見につけた学者が、いかに才気にとみ、しかしまた表層的に、ナショナルな問題にとりくむことができるのかを示した一例」と皮肉っぽい紹介をつけている。いずれにせよ、名著だからといってナショナリズムに関する知識のすべてをこの本に期待するのは間違いである(当たり前の話だが)。むしろこの本には、いくつかの分析視点の鋭さと同時に、その「アバウトさ」に利点をもとめるべきだろう。邦訳あり(NTT出版)。(なおダンは、上述の著作の1996年改訂版以後、『想像の共同体』にかんする紹介文を全面的に改訂している。)

Ernest Gellner, Nations and Nationalism, Blackwell,1983
これも、あえて解説を要さないほどの有名な著作。非常にエレガントな文体と論理である。産業化がナショナリズムを生み出したという論旨はあまりに明晰。産業化による社会的流動性の増大が文化の均質化・標準化をもたらし、それがナショナリズムの発生を可能にするという議論。ゲルナーはナショナリズムを「政治的単位が文化的単位と一致すべきであるとする政治的原理」と定義するが、産業化はこの定義にある均質な文化単位を生み出すものなのである。だが、ナショナリズムが産業化が進展していない段階で発生することも少なくないため(たとえば19世紀の東欧)、歴史的観点から批判も受けている。産業化はナショナリズムの発生というよりはむしろ、普及(大衆化)と関連させたほうがよいであろう。また、ゲルナーには、産業化の初期段階における不均等発展がナショナリズムを発生させるという、ネアンと類似の議論(ネアンもしばしばゲルナーの昔の著作を引用しているが)もあることは、意外に忘れられがちである。ゲルナーは産業化の後進地域から先進地域に移住した人々が経験する差別や障壁が民族的覚醒につながると論じている。19世紀のチェコや20世紀の植民地などでナショナリズムの発生が、このロジックで説明されるだろう。邦訳あり(岩波書店)
(2006年にジョン・ブルイリーが序文を寄せた「第二版」が出されている。)


Peter Alter, Nationalism, Edward Arnold, Arnold, 1985
ナショナリズムの定義から始まり、19世紀初頭以後のナショナリズムの歴史と多様性を概観したもの。非常にバランスがとれており、類型化のしかたも無理がない。もし英語の文献が許されるなら、授業のテキストに使いたいくらいである。

Anthony Giddens, The Nation-State and Violence, 1985
世界的に有名な社会学者(ブレア政権のブレーンでもある)ギデンズの著作。彼の社会理論の視点から、近代の国家である国民国家の形成の過程が論じられている。しかし「ナショナリズム」に関する分析は少なく、むしろ「国家」の歴史社会学とみなすべきであろう。邦訳あり。

John Breuilly, Nationalism and the State, University of Chicago Press, 1985 [1993, revised edition]
日本では意外に知られていない名著。ナショナリズムの発生をめぐる国家の役割を重視する。しかし前述のティリーらの議論と違い、国家の集権からからナショナリズム発生にいたるプロセスは、より複雑なものと捉えられている。すなわちそこには、国家の権力奪取にむけて動員する政治運動の発生という契機が重要視され、その運動の発生の制度的文脈である「社会」(あるいは「市民社会」)の役割が重視されている。またブルイリーの議論では、ナショナリズムを「対抗的な政治運動」と捉えている点も特徴的である。なお、この著作は、きわめて広い範囲から事例を引いて比較研究を行っている点でも特筆すべきであろう。

Anthony D. Smith, The Ethnic Origins of Nations, Blackwell, 1986.
「エスノシンボリズム」の論者アントニー・スミスの代表的著作。神話・シンボル・記憶を共有する文化共同体である「エトニー(ethnie)」をネーションの前近代的な基礎とし考える。スミスは1970年代は知識人の役割に着目した一種の「近代主義」の立場をとっていたが1981年のThe Ethnic Revivalを転機にしてこの著作から「エスノシンボリズム」に到達した。(ただこの著作の中ではまだ「エスノシンボリズム」の用語は使われていない。)この著作以来スミスは、アンダーソン、ゲルナー、ホブズボーム、ブルイリーらの「近代主義」と対立する立場を確立した。ネーションやナショナリズムが産業化、近代国家の形成、識字率の増加などの近代的変化の結果として生まれたとする「近代主義」に対しスミスは、ネーションやナショナリズムが近代の現象であることを認めながらも、古代・中世以来のネーションの連続性に着目し、その連続性を「エトニー」という語で明確化させた。「エトニー」はフランス語の語彙である。古代ギリシャ語の「エトノスethnos」に相当するもののようだが、現代ヨーロッパの言語でこれを意味する語はフランス語の“ethnie”だけだそうだ。色々と批判はあるが、なぜネーションがそれぞれ特定のネーションとして形成されているのか(つまり、なぜ「日本」がネーションなのか、「フランス」がネーションなのか、「アルメニア」がネーションなのか)を、近代主義では説明できない。資本主義や民主主義が普遍的現象であるのに対し、「ネーション」はどこにでも、というわけにはいかない。エトニーはそのようなネーションの「ユニークさ」を説明することが可能なのである。またエトニーがネーションに転化する過程における知識人の役割やインテリゲンチャ(学者、芸術家、ジャーナリストなど)に着目されている。彼らがエトニーの「過去」を再発見したり再解釈し、またそのように再構築されたエトニーの神話やシンボルがネーションのアイデンティティの基礎となっているとみる。この知識人・インテリゲンチャの介在により、エトニーのネーションと関係が相対化されているようにもみえる。が、実際のスミスの記述を見ると、ネーションから逆にエトニーが読み込まれ、両者の関係が歴史的に切り分けられていない印象もある。それが「ヘルダー的ロマンチシズム」(ウィマー)と批判される理由であろう。過去の記憶やシンボルがネーションのアイデンティティ(「これ」であって他ではないというユニークさ)を形成するとするエスノシンボリズムの着眼は重要だが、その過程を分析する十分な道具立てを用意していないという点に(私としては)不満が残る。邦訳あり。邦題は『ネイションとエスニシティ』(名古屋大学出版会)。

Eric Hobsbawm, Nations and Nationalism since 1780, Cambridge University Press, 1990
1985年ベルファストのクイーンズ大学での講演の記録。ホブズボームはイギリスの高名な歴史学者であり、有名な「時代」四部作に比較すれば、この著作はむしろ「余技」に属するのかもしれない。じじつこの著作は、彼の著作としては例外的に小規模であり、ここで引いている事例は断片的なものが多く、もっと突っ込んだ分析を求めたい気にもさせる。彼の主要著作四部作とつき合わせながら読むのも(時間はかかるが)いいかもしれない。この著作の中心的な論点を抽出するとすれば、近代国家形成のインパクトが大きかったということ、政治の民主化・大衆化の結果、言語やエスニシティに依拠したより小型の「ネーション」が、ナショナリズムを表明するようになったということ、などである。社会経済的変化とともに政治的要因が重視されている点に特徴がある。ホブズボームが、レンジャーと共編した『伝統の創造』という有名な著作で行った議論も、このナショナリズムの大衆化という議論の文脈の中で理解することができるが、本書の中ではそれほど強調されていはいない。邦訳あり(青木書店)。

George L. Mosse, Fallen Soldiers: Reshaping the Memory of the World Wars. Oxford: Oxford University Press, 1990
第一次大戦の記憶が、ヨーロッパ諸国のナショナリズムにどのような影響を与えたのかを論じたもの。「戦争体験の神話」が兵士の賛美に結びついていたことを明らかにする。しかしその兵士賛美の言説も第二次大戦期には衰微していく。福間良明・野上元編『戦争社会学ブックガイド』(ナカニシヤ書房、2012)に寄稿した「シンボルと大衆ナショナリズム」で本書を論じたので参照のこと。)

James Mayall, Nationalism and International Society. Cambridge University Press, 1990
ネーションと国際社会との関係を論じたもの。短いが重要な視点を提起した本。


[最近のものから]

Anthony D. Smith, National Identity. Penguin, 1991
1990年代に入ってからのアントニー・スミスの多産ぶりには驚かされる。ただ内容的に大きな変化はなく、1986年の『ネーションのエスニックな起源』(上記)の議論を、手を変え品を変えて繰り返している感がないわけではない。この著作はスミスの議論をわかりやすくまとめているが、記述に歴史的な深みがなく、『エスニックな起源』のような充実感は乏しい。邦訳は『ナショナリズムの生命力』。


 ≪1990年代以後のアントニー・D・スミスの著作≫

Nations and Nationalism in a Global Era (Polity, 1995)
タイトル通り、グローバル化時代におけるネーションとナショナリズムを論じる章が含まれている。ネーションが人のアイデンティティとして以前強力なものであることが主張されている。その他、ナショナリズムの一般論は他の著作でも繰り返されている、スミスの定番である。

Nationalism and Modernism (Routledge, 1998)
1971年に書いたTheories of Nationalismの現代版。近代主義、原初主義と永続主義、エスノシンボリズムという分け方は分かりやすい。現代のナショナリズム論の整理として使えるが、あくまでスミスの「エスノシンボリズム」の立場からの整理であることは踏まえて読むべきである。近代主義批判は多少一面的な気がしないではない。

Myths and Memories of the Nation (Oxford University Press, 1999)
講演の記録。

The Nation in History Histriographical Debate about Ethnicity and Nationalism (Polity 2000)

Nationaism: Theory, Ideology, History (Polity, 2001)
“Key Concepts”と名付けられたシリーズの一冊。教科書として書かれたものであろう。ナショナリズム論に関する論争的な議論が多く、入門書というよりも、かなり専門向けである。

Chosen Peoples: Sacred Sources of National Identity (Oxford University Press, 2003)
旧訳聖書はユダヤ人を「選ばれた民」として描いているが、この聖書の「選ばれた民」概念は、16世紀のイギリスを通じて各地のナショナリズムにおける「民」観に影響を与えている。宗教に根差した「選民」観念をナショナル・アイデンティティの「聖なる基礎」として論じた著作。スミスらしさが出ている。邦訳あり(明石書店)。

Antiquity of Nations (Polity, 2004)
論文集。“War and Ethnicity”は名論文だと思う。

Cultural Foundations of Nations: Hierarchy, Covenant and Republic (Blackwell, 2008)
「ネーションの文化的基礎」についての新展開が見られる。遅くとも近代初に発生したネーションを「ヒエラルキー的」「共和制的」「盟約的」の三つに分け、旧約聖書に起源をもつ「盟約的」ネーションの重要性を強調する。

Ethno-Symbolism and Nationalism: A Cultural Approach (Routledge, 2009)
「エスノシンボリズム」を解説したもので、スミスの論法を知るのに良い本。本文は136ページだから、長さもそれほどでもない。議論に目新しさはないのだが、6章の“Pro et contra”は最近のエスノシンボリズム批判に反批判を試みたもので、なかなか面白い。特にWimmerへの反批判やBrubakerへの批判は個人的に面白かった。しかし「エトニー」によってネーションの文化的」な内容を説明しようというエスノシンボリズムの持つ、同義反復的な性格はぬぐい切れていないような気がする。

Nationalism. Thheory, Ideology, History. Second Edition (Polity, 2010)
2001年に出版されたものの改訂版。いろいろと新たな論点が追加されている。ブルーベイカーへの批判なども興味深い。2018年に邦訳が出た。

エスノシンポリズムに関する適用可能性についてはMontserrat Guibernau and John Hutchinson (eds.), History and National Destiny: Ethno-symbolism and its Critics (Blackwell, 2004)Althena S. Leoussi and Steven Grosby (eds.), Nationalism and Ethnosymbolism: History, Culture and Ethnicity in the Formation of Nations (Edinburgh University Press, 2007)での寄稿者たちの論文が参照できる。またエスノシンボリズムの批判としてはAndreas Wimmer, "How to modernize ethno-symbolism", Nations and Nationalism, 14 (1), pp.9-14が簡潔にして要領を得ている。日本語のものとして原百年『ナショナリズム論』第2章がスミスの議論を偏りなく再現している。大澤真幸編『ナショナリズム論の名著50』での編者大澤自身によるスミス『ネーションのエスニックな諸起源』の解説は、「エトニーがネーションの起源なのではなく、ネーションがエトニーの起源である」という華麗なる「逆転劇」の議論を鮮やかに展開し、スミスが「誤っている」と結論づけている。この大澤の解説には一理はあるが、やはり「産湯とともに赤子を流す」面も否定できない。エトニーは決して原初的なものではなく、エトニー自身の「過去」への投影からなる「記憶と神話の複合体」である。その点において、エトニーとネーションは連続的なものであり、近代と前近代とのカテゴリー的区分から出発する近代主義を批判し、「長期持続」の観点からナショナリズムの歴史を論じるエスノシンボリズムのアプローチは、やはり重要なものである。問題は、その「長期持続」の観点がエトニ―という文化的側面だけに限定されているところである。この点の批判はSinisa Malesevic, Grounded Nationalism: Sociologycal Analysis (Cambridge University Press 2019)の第2章が鋭い。.

【晩年スミスの文化芸術論】
晩年のスミスは西洋における美術や音楽などの芸術作品がネーションを"tangibleand accessible"にする過程を明らかにする研究に従事するようになった。それ以前の理論的・比較分析的スタイルから、実証的・経験的スタイルに変わっている。スミスは1987年に西欧(特に英仏)美術についての論文をロンドン大学に提出し、二つ目の博士号を取得している。晩年の文化芸術論は、その研究をネーション・ナショナリズムの研究と結び付けたもののようだ。非常に興味深い研究で、吟味し、また発展させていくべきものではないかと考えられる。

The Nation Made Real: Art and National Identity in Western Europe 1600-1850 (Oxford University Press, 2013)
西欧美術史をたどりながら、ネーション・ナショナリズムの発生を16世紀オランダに求めている。フランスのダヴィドやイギリスのコンスタブルなどが論じられている。

・(With Matthew Riley) Nations and Classical Music: From Handel to Copland (The Boydell Press, 2016)
音楽学学者のリレイが中心になって書いているようにみえる。題名通りヘンデルからコープランドまで、欧米の音楽史がかなり詳しく論じられている。


Paul Brass, Ethnicity and Nationalism, Sage, 1991
いわゆる「道具主義的」アプローチの典型的な例。インドなどの南アジアをフィールドに、エリート間の権力とうす、そこにおけるエスニックなシンボルの操作や動員などが分析されている。「道具主義」の限界を踏まえて読むなら、なかなか説得力に富んでいて面白い。

Bernhard Giesen (Hg.), Nationale und kulturelle Identität, Suhrkamp, 1991
ヨーロッパのナショナル・アイデンティティ形成に関する論文集。

Berhhard Giesen, Die Intellektuellen und die Nation: Eine deutsche Achsenzeit, Suhkamp, 1993
ギーゼンはドイツの社会学者。理論にも強い人で、この著作も第一部は理論編である。第二部は18世紀末から19世紀半ば(ドイツ統一以前)までの知識人とナショナリズムの関係を論じたもの。そして第三部は戦後の知識人(特に左翼系・革新系)のナショナル・アイデンティティを論じたもの。第三部だけでも面白い。私(=佐藤)は、この著作から「ホロコースト・アイデンティティ」という概念を借用して論文を書いたことがある。基本的にはドイツの分析だが、概論書としても読める。三部の間の連関が必ずしも明確になっていないが、この点について私はかつてギーゼン自身に質問したことがある。。その時彼は次のように答えた。「この本は三種類の異なった読者を想定しているんだ。第一部は社会学者のために書いた。第二部は歴史学者のために書いた。そして第三部はジャーナリストのために書いたんだ」と。なかなかクレバーな答え方である。

Michael, Mann, The Sources of Social Power, volume II: The Rise of Classes and Nation-states, 1760-1914, Cambridge University Press, 1993
英仏革命から第一次大戦までの欧米の歴史をあつかったもので、本書全体の議論が国民国家形成論になっている。国家が住民の「市民生活への管掌範囲(civilian scope)」を拡大していくにつれ、住民が国家への「帰化=自然化(naturalization)」を進んで行く過程を、「四つの社会的力(social powers)」の複雑な連関関係から分析している分析している。大部だが読み応えのある著作。邦訳あり(NTT出版)。

Thomas Hylland Eriksen, Ethnicity and Nationalism: Anthropological Perspective. London and Chicago: Pluto Press. 1993
「エスニシティ」と「ナショナリズム」に関する総合的研究。タイトル通り人類学的知見を多く入れている点が特徴的。

Mikulás Teich and Roy Porter (eds.), The National Question in Europe in Historical Context. Cambridge University Press, 1993.
イギリス、フランス、イタリアからチェコ、ハンガリー、クロアチアまでネーション別にネーション形成の歴史を論じた歴史学的研究の論文集。

Mark Juergensmeyer, The New Cold War?: Religious Nationalism Confronts the Secular State. Berkeley and Los Angeles: University of California Press, 1993
世俗国家に対する世界の様々な宗教からのの対抗運動を「宗教ナショナリズム」ととらえ、それを冷戦後の国際紛争の新たな火種({新たな冷戦」)と位置づけた書。宗教とナショナリズムとを単純に結び付けてしまっているところが批判されるかもしれないが、ある意味冷戦後の国際紛争の要点を抑えたものともいえる。翻訳あり(玉川大学出版会)。

Josep R Llobera, The God of Modernity: The Development of Nationalism in Western Europe, Berg, 1994
「近代ナショナリズムはフランス革命以後の現象だが、ナショナル・アイデンティティは長く持続した現象である」という視点から、ヨーロッパ中世以来のナショナル・アイデンティティの歴史を分析し、また後半では資本主義、国家、階級と市民社会などの「近代的要因」について論じている。スタンスとしては、A.スミスに近いもの。ただし議論はヨーロッパに限定されている。

Walker Connor, Ethnonationalism: The Quest for Understanding, Princeton University Press, 1994
いわゆる「エスノナショナリズム」をめぐるコンナーの論文を集めたもの。『ナショナリズム論の名著50』を参照せよ。

Ernest Gellner, Encounter with Nationalism, Blackwell, 1994
ゲルナーの論文集。

Hagen Schulze, Staat und Nation in der europäischen Geschichte, Beck, 1994
ドイツ史学者が、ヨーロッパにおける「国家」と「ネーション」の発展史を概観したもの。「国家」と「ネーション」が概念的・制度的に別個の起源をもち、フランス革命以後それが一体化し「国民国家」として発展していったという歴史的経緯が、様々な歴史的事例をもとに論じられる。第二次大戦で歴史的な記述は終わっているが、最後にヨーロッパの中の国民国家の問題も論じられている。

Michael Billig, Banal Nationalism, Sage, 1995
先進諸国(特にイギリス、アメリカ)における、熱狂的でない「平凡な」ナショナリズムを論じたもの。日常的に人々が行っている語り方(「われわれ国民は」など)や行動(国旗を立てたり国歌を歌ったり)の中にナショナリズムが現れているということ、その意味で先進諸国もナショナリズムとは無縁でないことを論じている。「9.11」以後のアメリカの状況と関連させて読むこともできる。

Sukumar Periwal ed., Notions of Nationalism. Central European University Press, 1995
ブダペストにある中央ヨーロッパ大学のナショナリズム研究センターがプラハで開いたコンフェランスの記録。センター長のアーネスト・ゲルナーが序文を寄せいている他、執筆陣はなかなか豪華で、マイケル・マン、ジョン・アームストロング、ミロスラフ・フロホ、ジョン・キーンなどが名を連ねている。特にマンの論文「ナショナリズムの政治理論とその行き過ぎ(A political theory of nationalism and its ecesses)」は、マンが書いたナショナリズム論として貴重。私はこの論文を留学中に著者から(コンピューターからプリントアウトした草稿のもので)いただき、それ以来折につけ参照させていただいている。その他、どの論文も興味深い。タイトルが地味で、しかも出版社がマイナーなのせいか、あまり普及していないが、非常に重要な論文集だと思われる。

Rogers Brubaker, Nationalism Reframed, Cambridge University Press, 1996
東欧・ロシアをフィールドにしながら、ネーションを「実践的カテゴリー」としてとらえ、それが制度化され、政治的に利用されていく過程を、政治的・制度的文脈の中で分析していこうとする比較ナショナリズム研究。なお、ブルーベイカーは私(=佐藤)が学問的に尊敬する恩師である。

John R. Gillis. Commemorations: The Politics of National Identity. Princeton University Press. 1996
歴史の記憶とナショナル・アイデンティティのつながりを論じた、カルチュラル・スタディーズ的歴史研究。ヨーロッパ、アメリカの他にイラクとイスラエルを扱った論文が並ぶ。どの論文もオーソドックスのテーマが取り上げられ、分析も手堅い。90年代に流行ったカルチュラルスタディーズ的歴史研究のもっともすぐれた成果の一つである。

Montserrat Guibernau, Nationalisms: The Nation-State and Nationalism in the Twentieth Centry, Polity Press, 1996

Paul James, Nation Formation: Towards a Theory of Abstract Community, Sage 1996
ネーションを「抽象化された共同体」と見なす視点。

Gopal Bakakrishnan, ed., Mapping the Nation, Verso 1996
豪華な執筆人による論文集。編者の好みで、オットー・バウアーの論文(『民族問題と社会民主主義』の第1章)も含まれている。編者のゴーボール君は、カール・シュミットの専門家で、私(=佐藤)のUCLA留学時代の友人である。クレジットがついていないが、バウアーを英訳しているのは彼である。

Ernest Gellner, Nationalism, New York University Press, 1997

Geoff Eley and Ronald Suny, eds., Becoming National: A Reader, Oxford University Press, 1997
アンソロジー。有名なルナンの論文も含まれている。編者による序論は一読の価値あり。

Adeian Hastings, The Construction of Nationhood: Ethnicity, Religion, and Nationalism, Cambridge University Press,1997
いわゆる「近代主義」を批判しながらも、スミスのような「永続主義」もとらない、あえていえば「中世主義」とでも呼ぶことができるだろうか。ネーションの発生を中世イギリスに求めるユニークな視点を提起している。歴史学者好みの著作。またアフリカのナショナリズムの発生に果たしたキリスト教の役割についての分析も面白い。なお、著者の本職は神学らしい。少し詳細に検討すべき必要のある著作。

Craig Calhoun, Nationalism, Open University Press, 1997
キャルフーンはアメリカの歴史社会学の中堅どころの代表格の人物である。中軸となる主張には乏しいが、最新の研究動向を踏まえた議論が展開されている。

T. K. Oommen, Citizenship, Nationality and Ethnicity: Reconciling Competing Identities, Polity Press, 1997

Hans-Rudolf Wicker (ed.), Rethinking Nationalism and Ethnicity: The Struggle for Meaning and Order in Europe. Berg, 1997.
ヨーロッパにおけるエスニシティ、ナショナリズム、国民国家をめぐる様々な論文が集められている。理論的志向の強いものが多い。扱われている題材は現代だが、今となっては多少古くなっているものもある。

David McCrone, The Sociology of Nationalism, Routledge, 1998
題名が示すほどに「社会学」的であるとは思えないが、ナショナリズム発生における社会的要因に注目してはいる。著者はスコットランドのナショナリズムを専門にする研究者である。

John A. Hall, ed., The State of the Nation: Ernest Gellner and the Theory of Nationalism, 1998
ゲルナーのナショナリズム論を検討した論考がならぶ。ベイシンジャーやブルーベイカーの論文など興味深いものがものが少なくない。

Montserrat Guibernau, Nations without States: Political Communities in a Global Age, Polity Press, 1999
著者(女性)はカタロニア人。“nations without states”という観点、つまり国民国家を持たない(国民国家に対峙する)ネーションという観点からの議論。

Bernhard Giesen. Kollektive Identität. Die Intellektuelen und die Nation 2. Suhrkamp, 1999.
「知識人とネーション」の続編。ナショナル・アイデンティティのモデル化が試みられている他、第二帝政期のドイツが論じられている。

Ronald Grigor Suny and Michael D. Kennedy, eds., Intellectuals and the Articulation of the Nation. University of Michigan Press, 1999.

Anne-Marie Thiesse, La Creation des identites nationales. Editions du Seuil, 1999
ヨーロッパにおける「ナショナル・アイデンティティの創造」文化史についての包括的研究。言語や文芸、歴史や絵画、建築や服装などにおけるナショナリティの表現にが数多く紹介される。アンダーソンの『想像の共同体』における「辞書編纂革命」に関する議論、ヒュー・シートン=ワトソンのヨーロッパのパートにおける言語・文芸の歴史で紹介されている問題をより詳細かつ具体的に論じたもので、とても有益な本である。18世紀後半の始まり、20世紀のナチズムや「国民共産主義」」までと、時代的な幅も広い。著者のティエスの名は、英語・独語では見かけたことがない。文学史の研究者なのだろうか。邦訳はアンヌ=マリ・ティエス『国民アイデンティティの創造 18~19世紀のヨーロッパ』(斎藤かぐみ訳、工藤庸子解説、勁草書房、2013年)。原著の方は読んでいない。
 
Umut Özkirimli, Theories of Nationalism: A Critical Introduction, St. Martin's Press, 2000
1990年代までのナショナリズム論の適切な整理をやっていて、大変便利な著作である。「前近代主義」「エスノシンボリズム」「近代主義」という三対の軸を立てている。

David Brown, Contemporaty Nationalism: Civic, Ethnocultural & Multicultural Politics. Routledge, 2000.
大型サイズの本。大学で使うテキストとして想定されているのであろうか。ユニークな点は、ナショナリズムを「シヴィック」と「エスノ文化的」というブルーベイカー的類型に加え「多文化的」というナショナリズムの類型を追加している点。カナダなど「多文化的」な国民統合の理念を掲げているケースを指している。

Malcolm Anderson, States and Nationalism in Europe since 1945. Routledge, 2000
第二次大戦後のヨーロッパのナショナリズムを論じたもの。世界大戦とファシズムでナショナリズムは大きくその正当性を失い、一般には「悪い」ものとして認識されている。しかしながら、自他ともに「ナショナリスト」とはみなされていないような人々も、以前としてナショナリズムから大きな影響を受け続けている。なぜならば、戦後ヨーロッパの民主主義が、ネーションとの同一化を強化してきたからである。このようなテーゼを展開した、興味深い論考。100ページ足らずの短い本だが、もっと注目されてよいと思う。

Montserrat Guibernau and John Hutchinson, eds., Understanding Nationalism, Polity Press, 2001

Alan Bairner, Sport, Nationalism, and Globalization: European and North American Perspectives. SUNY Press, 2001

Gerald Delanty and Patrick O'Mahony, Nationalism and Social Theory, Sage 2002
題名のとおり、ナショナリズムを社会理論の分析枠組みの中に位置づけようとしたもの。なかなか鋭い視点がある。だが著者が提示する「理論」的枠組みがどれほど有効であるかというと、疑問も残る。

Tim Edensor, National Identity, Popular Culture and Everyday Life. Berg. 2002
ポピュラー・カルチャーにあらわれた「日常生活上のナショナリズム」を考察した画期的な研究。最終章では映画『ブレイブハート』が題材として取り扱われている。ただ、ポピュラー・カルチャーに表象されるナショナリズムと、日常的に習慣化された「ネーション」とのつながりがあまり明確でない(というよりも、テーマ化されていない)。「日常のネーション」論の視点からすると、後者の分析をふまえて前者(ポピュラー・カルチャー)の考察に向かうという方向性が必要になるだろう。

Andreas Wimmer, Nationalist Exclusion and Ethnc Conflict: Shadow of Modernity, Cambridge University Press, 2002
最近のナショナリズム論の中では、私(=佐藤)の一押しのもの。国民国家論を枠組みに、中東、アフリカ、ラテンアメリカ、西欧の民族紛争を分析してしまおうという野心的研究。国民国家論としてこれ以上に説得力のあるものは、現在他に見当たらない。

Philip Spencer and Howard Willman, Nationalism: A Critical Introduction, Sage, 2002
ナショナリズムをめぐる様々な論点を整理している。上記Ozkirimli(2000)のように図式的ではなく、対象となる論点も広い。副題が示すとおり、「批判的」見地からのナショナリズム論の導入としてすぐれている。

Anthony W. Marx, Faith in Nation: Exclusionary Origins of Nationalism, Oxford University Press, 2003
ナショナリズムを啓蒙主義と市民革命の産物であるとするハンス・コーン以来広く知られた議論を根本的に批判し、近代ナショナリズムの起源を16世紀の宗教紛争に求めたもの。副題が示唆するように、「シヴィック(市民的)」と特徴づけられた「西洋(欧)的」なナショナリズムにおける排他的で不寛容な面をえぐりだそうという意図がある。

Oliver Zimmer, Nationalism in Europe, 1890-1940. Basingstoke: Palgrave macmillan, 2003.
ヨーロッパ史からの入門書。本文が100ページちょっとと、長さも手ごろ。ナショナリズムが高潮期を迎える1890年から1940年のヨーロッパに議論を限定しているところが、本書の利点であり、また物足りなさでもある。しかし、論述を単なる歴史叙述ではなく、分析的なテーマ中心型にしているところがよい。ナショナリズムの大衆化、、エスニック化(マイノリティ問題の高揚)、ナショナリズムとファシズムなど、ヨーロッパ史にとどまらないナショナリズムの重要なテーマが論じられている。また、第1章では「近代主義」対「近代主義批判」の理論抗争についての簡単なサーヴェイがあり、両者の関係に関する短いがバランスのよい議論がなされている。この不毛な二項対立図式も、こういう議論でしだいに「脱イデオロギー化」されていくことを望みたい。ありがたいことに邦訳あり。

Patrick J. Geary, The Myth of Nations: The Medieval Origin of Europe. Princeton University Press, 2003
古代史・中世史で語られる「~~人」と現代のネーションとを連続させてとらえる見方を否定したもの。著者は中世ヨーロッパの歴史家。

Roger M. Smith, Stories of Peoplehood: The Politics and Morals of Political Membership. Cambridge University Press, 2003.
ネーション形成を、倫理的な「物語」による「民作成(people-making)」ととらえるユニークなナショナリズム論。分析的ナショナリズム研究と規範理論をつなぐような議論になっている。最後はアメリカ論に帰り、ジョン・ロールズの政治哲学とジョージ・W・ブッシュの演説とを比較したりしている。まだ十分読みこなせていないのだが、なかなか洗練された興味深い研究である。

Paul Lawrence, Nationalism: History and Theory. Longman, 2003
ナショナリズムの思想・理論の概説書として書かれた本。1848年に始まり、主たる議論は1980年代で終わっているという構成をとり、一般のナショナリズム論の概説書と比べ、古めの時代に重点を置いているという印象である。章は時代順に並べられ、序章に続き第2章が1848~1914年、第3章が1918~1938年、第4章が1945~1969年、第5章が1970~2003年となっている。(第5章の最後の節「最近の理論的革新」で1990年代以後が論じられているが、たった8ページで終わっている。)あまり知られていない論者、思想家が登場し、その意味で勉強になる。現在の「定番」の概説にとらわれず、あえて欧州におけるナショナリズムの思想をたどると、このような構成になるのだろう。また、ゲルナー、ブルイリー、アンダーソン、スミスといった研究者については、その知的背景も含め、第4章で詳しく論じられる。ただ、全体としてイギリス偏重という印象は拭えない。著者のLawrenceはフランスのナショナリズムを専門とする歴史学者のようだが、私はこれまで名前を聞いたことはなかった。。

Jyoti Puri, Encountering Nationalism, Blackwell, 2004

Sima Godfrey and Frank Unger, eds., The Shifting Foundations of Modern Nation-States. University of Tront Press, 2004

●Monserrat Guibernau and John Hutchinson, eds., History and National Destiny: Ethnonationalism and Its Critics, Blackwell, 2004
ロンドンにあるASEN(Association for the Studies of Ethnicity and Nationalism)のコンフェランスの記録。

Michel Seymour, ed., The Fate of the Nation State (McGill-Queen's University Press, 2004)
モントリオールで行われたコンフェランスの記録。哲学者、政治学者、社会学者等々領域横断的で、分析を試みようとする議論と規範に志向する議論が多彩に共存している。カノヴァン、グリーンフェルド、ポッゲ、ブルーベイカー、アンダーソンなどが著者の中に含まれている。

John Hutcinson, Nations as Zones of Conflict, Sage, 2004
アントニー・スミスを主導者とする「エスノシンボリズム」の新たな展開。近代以前の文化的(エスニックな)基礎を強調するが、それた単一ではなく、様々な文化的基礎がネーションの異なった(対立的な)解釈を可能にしているという議論。しかしエスニック素材がネーションと「永続的」に結び付けられる同義反復的説明は変わらない。Nations and Nationalism第14巻1号(2008)で、この著作の合評会が記録されている。そこでアンドレアス・ウィマーは「いかにエスノシンボリズムを近代化させるか」というタイトルで、短いが鋭いコメントをつけている。必見。

Michael Mann, The Dark Side of Democracy: Explaining Ethnic Cleansing, Cambridge University Press, 2004
「民族浄化」の包括的研究。民主化との関連に注目している。

●Rogers Brubaker, Ethnicity without Groups, Cambridge, MA: Harvard University Press, 2004
最近のブルーベイカーの理論的展開。「認知的アプローチ」を主張。「認知としてのエスニシティ」など本書所収の論文をいくつか『グローバル化する世界と「帰属の政治」』のなかで訳出した。

●Andrew Thompson and Graham Day, Theorizing Nationalism. Basingstoke and New York: Pelgrave Macmillan. 2004

ナショナリズム論の入門に最適。特に最近の理論的展開についてバランスの良い記述をしている。

Mathias Beer (Hrsg.) Auf dem Weg zum ethnisch reinen Nationalstaat: Europa in Geschichte und Gegenwart, Tübingen: Attempto, 2004
「民族的に純粋な国民国家」がもらたした諸問題を論じた論文集。20世紀中東欧の歴史からの視点。

Umut Özkirimli, Contemporary Debates on Nationalism: A Critical Engagement. Basingstoke and New York: Pelgrave and Macmillan. 2005
ウズキリムリのナショナリズムの理論研究の第二作。今回はどちらかというと規範論的側面からの整理が行なわれている。

Steven Grosby, Nationalism: A Very Short Introduction, Oxford: Oxford University Press, 2005
オックスフォード出版の「大変短い入門」シリーズの一つ。ポケットサイズ。しかし内容はかなり挑戦的でインパクトあり。「近代主義」の議論をほとんど省みず、ネーションを「領域的なキンシップ」であるとする、ほとんど「反動的」ともいえるアプローチをあえてとっている。ゲルナーやアンダーソンの名前も、最後リーディングリストの中に載せられているだけで、本文では全く言及がない。「ネオ原初主義的」とでも呼ぶことができるだろう。「出生という生物学的事実によってつながれた血統の認識」にもとづく関係性を「キンシップ」と呼び、その下位概念として家族(親族)とネーションとを配置する。血統の認識が拡大された領域と結びついたとき、「出生による領域共同体」としてのネーションが成立する。ネーションが家族とともに「出生」に基づく社会集団である(「血統主義」であろうが「属地主義」であろうが)ことを考えると、この把握にはかなりの説得力がある。このような把握に基づき、著者は古代から現在にかけて遍在する様々な「ネーション」について分析する。そこにはもはや「近代/前近代」という区分自体がほとんど消滅している。日本の事例も頻繁に引用され、伊勢神宮や靖国神社の写真まで入っている。「ネオ原初主義」の議論にとって日本は格好な事例であることがわかる。著者グロスビーはアメリカの宗教学者で、エドワード・シルズの影響を多く受けている人のようである(もっとも私自身は、グロスビーについてほとんど知識がないのだが。
[Ichijo and Uzelac eds, When is the Nation?(2005)(下記)の中でで「近代主義者」のホブズボームがグロスビーの論文にコメントし、グロスビーの「原初主義」を「危険である」とまで指摘している。この両者の間にはほとんど架橋しがたい大きな溝のようなものが読み取れる。]

Atsuko Ichijo and Gordana Uzelac, eds., When is the Nation? Towards an Understainding of Theories of Nationalism, London and New York: Routledge, 2005
ASENのコンフェランス記録。例によってビッグネームな研究者によって「近代主義対反近代主義」の論争が繰り返されているが、そろそろこの論争の賞味期限も切れいているといわなければならない。

Michael E. Geisler, (ed.) National Symbols, Fractured Identities: Contesting the National Narrative, Middlebury: Middlebury College Press, 2005
ナショナル・シンボルに関する興味深い事例研究集(記念碑、国歌、祝日など)。文化研究、「カルスタ」的だが、なかなか使える。

Paul Lawrence, Nationalism. History and Theory. Pearson, 2005.
ナショナリズム論の学説史。19世紀からはじまり現代までたどる。その時々の歴史的背景が重視されている。19世紀ではトライチュケやミシュレといった歴史学者の「国民史」、ジョン・スチュアート・ミルやアクトン卿、ルナンのナショナリズム論、バウアーらマルクス主義者のナショナリズム論がとりあげられる。戦間期の章は、あまり知られていない議論が紹介されていて興味深い。

Jonathan Hearn, Rethinking Nationalism: A Critical Introduction. Basingstoke and New York: Pelgrave Macmillan, 2006.
「入門」として大変にしっかりとかかれている。1980年代までの中心的対立軸であった「近代主義」対「前近代主義」にくわえ、最近の理論的対立軸を「権力」と「文化」の軸でまとめている。特に後半は出色。

Aviel Roshwald, The Endurance of Nationalism: Ancient Roots and Modern Dilemma. Cambridge: Cambridge University Press,2006.
最近よくある「近代主義批判」の一つ。ナショナリズムの存在を古代にまで遡っている。しかし重要なのは、著者ローシュワルドが単に「近代以前」に戻ろうと言っているのではないということである。この著書の論では、ナショナリズムは常に近代的なるものと前近代的なるものとをともにはらんだ逆説的な現象であり、その両面の間のディレンマを包含してきたということこそ、ナショナリズムの「持続enduarance」を可能にした独自なダイナミズムがあるとされている。「近代主義」対「反近代主義」の今や不毛になった論争から脱却するためには、一つの重要な視点を提供していると思われる。

Paul James, Globalism, Nationalism, Tribalism: Bringing Theory Back In (Towads a Theory of Abstract Community, volume 2), London: Sage, 2006
グローバリズム、ナショナリズム、トライバリズムの三つを、「社会構成social formation」の一般理論の枠組みで論じようという野心的な著作。ゲルナー、マン、ブルデュー、ギデンズ、フーコーの社会理論が主として利用され、社会関係の「抽象化abstraction」という1996年の前作以来の著者の議論を展開している。最近にしては珍しい(時代に抗した)なかなか野心的ではあるが(副題「理論の復権」もなかなかである)、「理論」がしばしば陥る同義反復的解釈学に堕していないかどうか、少し検討を要する。

Sinisa Malesevic, Identity and Ideology: Understanding Ethnicity andNationalism. Basingstoke: Palgrave, 2006.
“ideology”概念を用いた“identity”論。また、スミスの「エスノシンボリズム」を批判してもいる。

Daniel Chernilo, A Social Theory of the Nation-State: The Political Forms of Modernity Beyond Methodological Nationalism. Abington and New York: Routledge. 2007
マルクスからルーマン、ハーバーマスにいたる10人以上の社会学者・社会学理論家の議論を検討し、国家理解に想定されている「方法論的ナショナリズム」を指摘しつつ、社会理論のもつ普遍性に可能性を見出そうとしうもの。なかなか面白い。

Phipil G. Roeder, Where Nation-States Come From: Institutional Change in teh Age of Nationalism, Princeton and Oxford: Princeton University Press, 2007.
ローダーはソヴィエトの専門家。ロシア、ソ連の例を持ちながら、制度学派的枠組みから国民国家の発生と波及を論じた著作。この制度学派的枠組み(ブルーベイカーも用いているが)は注目すべきである。

●Montserrat Guibernau, The Identity of Nations, Cambridge: Polity, 2007.
前作の“nation-states”対“nations without states”という観点に加、移民やグローバル化、EU、マルチカルチュラリズムなどとの関係の中でナショナル・アイデンティティの変化を捉える。著者のナショナリズムのリアリティ感(冒頭のエピソードは面白い)やナショナル・アイデンティティを多義的なものと捉えるアプローチには共感するところも少なくないが、いかんせん理論的に素朴すぎる気がする。私の偏見かもしれないが、著者の理論的な視点が「イギリス的」に限定されているところが問題かもしれない。いずれにせよ、同じテーマをもっと別の方法で論じることも可能だろう。なお、“devoution”とナショナル・アイデンティティの関連についての議論は、なかなか面白い。

●Craig Calhoun, Nation Matters: Culture, History, and Cosmopolitan Dream, London: Routledge, 2007
ナショナリズムの「ヤヌス的」な両面性を強調し、ナショナリズムの暴力的・抑圧的な面を認識しつつも、民主主義を基礎づける「連帯」を構成するものとしてのナショナリズムの意味を見失ってはならないという立場を打ち出している。近代における「連帯」の役割を重視するカルフーンの主張は、最初の著作である階級闘争分析から一貫したものである。

ChristianJansen / Henningräfe, Nation, Nationalität, Nationalismus. Frankfurt am Main: Campus, 2007.
ドイツ人向けの歴史学的入門書。ドイツのナショナリズムの歴史、ナショナリズムの理論(ドイッチュ、ゲルナー、アンダーソン、スミス)、フランス、スイス、バルカン半島の歴史事例分析からなる。ヨーロッパ的視点。

R,J,B. Bosworth, Nationalism. Pearson/Longman, 2007
歴史的な論述だが、分析というよりその歴史的意義をあつかっている。

Benjamin Curtis, Music Makes the Nation: Nationalist Composers and Nation Building in Nineteenth-Century Europe. Cambria Press, 2008
19世紀ヨーロッパにおける国民的・民族的音楽の構築を、ワグナー、スメタナ、グリークの三人を並行させながら議論している。

Hogan Colm Patrick, Understanding Nationalism: On Narrative, Cognitive Science, and Identity, Ohio State University, 2009.
著者は文学理論家。認知科学とナショナリズム論を結び付けた興味深い試み。映画の「インデペンデスデイ」からジョージ・W・ブッシュの演説などが題材として使われている。

Erika Harris, Nationalism: Theories and Cases, Edinburgh University Press, 2009
随所にケーススタディーをはさみながら、ナショナリズムの最近の諸理論や諸概念を批判的に検討している。「近代主義と原初主義」「シヴィックとエスニック」「同質性と多文化主義」「包摂と排除」などの二元図式ではもはや現代のナショナリズムを解明することはできないし、ナショナリズムは近代的でありかつ原初主義的、エスニックにしてシヴィック、民主主義的でかつ排除的であると主張する。また、21世紀には国民国家が「「新しい」国民国家」へと変貌しているという観点から、そのあり方の解明を模索している。それほどオリジナルな主張があるようには思えないが(すでに多くの人が主張している)、ナショナリズム論を現代の諸問題と照らしながら議論しているので、参考になる。これからナショナリズムについて学ぼうとする人には最適かもしれない。なお、著者はスロヴェニアとスロヴァキアのナショナリズムを専門にしている

●Patrick Holm Cogan, Understanding Nationalism: On Narrative, Cognitive Science, and Identity. Ohio University Press, 2009
著者は文学理論の研究者。心理学的認知論、感情論をナショナリズム研究に適用した研究。小説、映画、ジョージ・W・ブッシュの演説など様々な言論を題材に用いていて、将来性を感じさせるアプローチである。

Susana Carvalho and François Gemenne (eds.), Nations and their Histories: Constructions and Representations. Palgrave Macmillan, 2009

Hans-Ulrich Wehler, Nationalismus, Formen, Folgen. (Beck'sche Reihe) Beck. 2011
ドイツ語での小型の入門シリーズの一冊。著者は著名なドイツの歴史学者。さすがにコンパクトにまとまっている。

Ireneusz Pawel Karolewski and Andrzej Marcin Suszycki, The Nation and Nationalism in Europe: An Introduction. Edinburgh University Press, 2011.

Caspar Hirschi, The Origins of Nationalism: An Alternative History from Ancient Rome to Early Modern Germany. Cambridge University Press, 2012
ゲルナー、ホブズボーム、アンダーソンら「近代主義」を正面から批判した挑戦的著作。ヘイスティングス、ロシュワルドらに続く「前近代主義」のアプローチをとるが理論的にはより野心的である。「ナショナリズムの起源」は中世末期からルネサンス期に置かれる。キリスト教の権威と結びついたローマ帝国の普遍主義的伝統が没落し、それに代わって台頭した世俗権力が相互に競合する中、「威信の共同体」としてのネーションを称揚するナショナリズムが人文・法律の学者たちの言説のなかに現れたと論じている。徹底して反近代主義的であるが「構築主義」的手法を用い、ナショナリズムが大衆的現象であるという近代主義者のこだわりから脱却する必要を主張する。久々に刺激的な議論。私はまだ熟読していないのだが、詳細に検討すべきだろうと思われる。なお、著者ヒルシはルネサンス期を専門にするスイスの歴史学者。

Claire Sutherland, Nationalism in the Twenty-First Century: Challenges and Responses, Palgrave, 2012.
ナショナリズムが「コスモポリタン的挑戦」に対峙する中でどのように変化しているのかということについて、近年の議論や現実の状況をまとまたもの。ナショナリズムがグローバリズムやの台頭によって消滅するというゼロサム史観から距離をとり、ナショナリズムが現代の地球政治の中で果たす役割や、行使する影響について論じている。

Harris Mylonas, The Politics of Nation-Building: Making Co-Nationals, Refugees, and Minorities. Cambridge University Press. 2012
両大戦間期のバルカン半島での「ネーション・ビルディング」政策を分析した研究。

●Michael Skey. National Belonging and Everyday Life. Significance of Nationhood in an Uncertain World. Palgrave. 2012
ネーションを自明視された知識ととらえ、「日常のネーション」を考察した研究。ナショナリズム研究の新しい方向性を示している。

John Coakley, Nationalism, Ethnicity and the State. Sage. 2012.
政治学的アプローチからのナショナリズム論。たいへんに真面目なナショナリズム論入門である。

●Andreas Wimmer, Waves of War: Nationalism, State Formation, and Ethnic Exclusion in the Modern World. Cambridge University Press, 2013
計量的手法を織り交ぜた歴史社会学的アプローチ。国民国家の形成が戦争勃発の原因になるという説を歴史的データを念入りに検証しながら議論している。各章はすでに単発で発表された論文によって構成されている。各章を著者のアンドレアス・ウィマーは2012年までUCLAで教えていた。彼は私がUCLAを卒業した後に来たので、私の留学中に彼とは知り合いではなかった。しかしその後、私の友人を通じて彼と知り合うことができた。今ウィマーはプリンストン大学で教えている。2008年に来日した際、私が主催する「国会論研究会」で報告してもらったことがある。それはこの本の第4章の内容だった(この章は、元はAmerican Sociological Reviewに掲載されたものである)。

Sinisa Malesevic, Nation-States and Nationalisms. Polity, 2013.
私から見ると、これは国家論的視点からとらえたナショナリズム論である。非常に興味深く、また共感するところも大きい。。ナショナリズムが平和的で日常的になっているのは、ナショナリズムが弱体化し、消滅にかっているからではなく、むしろ強化されているからだととらえている。珍しくブルーベイカーが裏表紙の推薦文を書いている。曰く「ネーションとナショナリズム研究のすぐれた入門」なのだそうだ。(2017年度の大学院の授業でテキストとして使用する予定)

John A. Hall and Sisisa Malesevic, eds., Nationalism and War, Cambridge University Press, 2013
戦争とナショナリズムの関係に関する考察を集めた論文集。コリンズ、ラックマン、マン、ウィマー、マレセヴィチといった社会学者の論文もあるが、必ずしも看板通りのものだけでもない。ウィマーの論文などは、戦争ではなく帝国から国民国家へ」というテーマをあつかっている。(ウィマーの戦争に関する論考はむしろ別の著作に載っている)

David H. Kaplan and Kathryn Hannum, Nationalism. Routledge. 2014.
非常にシンプルなタイトル。Key Ideas in Geographyというシリーズの一冊で、地理学の視点から書かれたナショナリズムの概説書であるが、社会学からみても十分に役に立つ良書である。具体的事例が多いのがよい。

Liah Greenfeld, Advanced Introduction to Nationalism. Elgar, 2016
グリーンフェルドによる「アドバンストな入門書」。民主主義、階級構造、国家、市民社会、資本主義、科学、世俗化、グローバル化などの様々な「近代」的現象をナショナリズムとの関係性から議論したもの。ナショナリズムを「言説」や「実践」のプロセスからとらえる(広い意味での)「構築」主義的方法とは異なり、あくまでナショナリズムを「「実体」ととらえることにこだわった、グリーンフェルド独自のナショナリズム論の真髄にふれることができる。140頁くらいで、彼女の本としては異例に薄い。

Thorsen Mense, Kritik des Nationalismus. Schmetterling Verlag. 2016
マルクス主義の立場から、ナショナリズムのもつ「解放」的側面と、「閉鎖」的側面との両義性を踏まえたうえでの批判的考察。

John Hutchinson, Nationalism and War, Oxford University Press, 2017.
ナショナリズムと戦争との関係を全般に論じた大変に有益な著作。第1章は戦争と国家形成についてで、ティリーの議論に中心が置かれている。第2章は戦争の記憶や戦争神話についての考察。第3章は帝国解体から国民国家形成の過程における戦争の問題、第4章はポストナショナリズム時代における戦争とナショナリズムについて。このテーマに関する論点がほぼ網羅されている感じの本である。

Michael Skey and Marco Antonsich, ed., Everyday Nationhood: Theorising Culture, Identity and Belonging after Banal Nationalism. Palgrave Macmillan, 2017.
「日常のナショナリズム」をめぐるこの時点での集大成ともいえる論文集。クレイグ・カルフーンの論文を含む「日常のナショナリズム」の論者が寄稿している。

Michel Dormal, Nation und Repräsentation. Theorie, Geschichte und Gegenwart eines umstrittenen Verhältnisses. Nomos. 2017
ネーションと「代表」をめぐる理論的かつ歴史的論考。大変重要なテーマを扱っている。

Andreas Wimmer, Nation Building: Why Some Countries Come Together While Others Fall Apart. Princeton University Press, 2018.
ある国では「ネーション・ビルディング」(国民建設)に成功し、別の国ではそれに失敗してエスニック紛争や分離運動が発生する。その違いはどこから来るのかを、国家と市民との間の「交換関係」の形成から分析したスケールの大きい著作。少数の事例を扱った質的な比較歴史研究と大量のデータを扱った量的研究の部分からなる。「ネーション・ビルディング」という1960年代の政治社会学の古い概念を新たな観点からとらえなおし、それをこの本で前面に打ち出しているところが面白い。なお、ワシントン・ポスト紙でのインタビューで著者自身が本書の内容について語っている

Michael Bröning, Lob der Nation. Warum wir den Nationalstaat nicht den Rechtspopulisten überlassen dürfen. Diez Verlag. 2018
社会民主党系の政治アナリストによる国民国家擁護論。国民国家を右翼ポピュリズムに対抗する「進歩的」な力として再評価しようという議論。

Sinisa Malesevic, Grounded Nationalisms: Sociologycal Analysis. Cambridge University Press 2019.
マレシェヴィチがまた本をだした。いまやナショナリズムの理論的な研究では第一人者になっている。基本的なアプローチは2013年と変わらない。組織の官僚制化、イデオロギーの浸透、連帯の日常的フレーミングという三つの過程から、20世紀後半から21世紀にかけてナショナリズムが「グラウンデッド」なもになったという議論。ブローデルの概念を借りた「長期持続」の観点から、ナショナリズムの近代における確立と「日常化」について論じている。前作同様、"nationaisms"と、複数形で使用している。今回の著作は既出論文を集めた論文集だが、アイルランドのナショナリズム、セルビアとクロアチアのナショナリズムに関する事例研究が含まれているのが特徴のひとつである。また、シンプルに「社会学的分析」とされた副題もよい。裏表紙にブルイリー、コリンズ、マン、ウィマーといったそうそうたる名前で推薦文が出ている。

Maarten Van Ginderachter and John Fox, National Indifference and the History of Nationalism in Modern Europe. Routledge, 2019.
"national indifference"という概念を打ち出した論文集。ネーションへの帰属が未確定であったり、両義的であったり、手段的選択の対象であったり、意識的忌避・回避の対象であったりなど、それへの一義的なコミットメントが確定されていない状況を総称して「ナショナル・インディファレンス」(「国民的無関心」と訳すと、その多義的な含意ががうまく伝わらない)と呼んでいる。主に中東欧の境界地域(特にハプスブルク帝国内)でのナショナリズム研究者が提唱した概念で、この概念を用いた研究が並べられている。ネーションへの帰属が一義的に定まらない状況は、ナショナリズム研究の間ではよく知られ、また研究の対象になってきた問題だが、近代化を社会やアイデンティティの「ネーション化ととらえがちな近代主義的アプローチ(その中には、いわゆる「構築主義的」なアプローチも含むが)では過渡的ないし例外的なものととらえられる傾向が無きにしも非ずであったことは否定できない。そのような状況を、ナショナリズム研究の対象として明確かつ積極的に打ち出したという点で、この「ナショナル・インディファレンス」概念に一定の有効性はあるだろう。しかし、その内実はあまりに多様な状況を含んでいるので、「分析概念」としてどれほど有効なのかはどうかには疑問もある。この概念のおそらく最も強力な提唱者であると考えられるのはタラ・ザーラ(Tara Zahra)だろう。彼女は"Imigined non-communities: National indifference as a category of practice" (Slavic Review, 69, 2010)という論文で、「想像の非・共同体」という概念を用いつつ「ナショナル・インディファレンス」を「分析概念」として打ち立てようという論陣を明確にしている。彼女の研究は明快で力強くかつ刺激的な主張を含むもので高く評価できる。私はこの論文集を知るかなり前に、第一次大戦後のアルザス=ロレーヌとチェコスロヴァキアにおけるネーションの分類化の比較研究についての論文("The minority problems: National classification in the French and Czechoslovak boderlands," Contemporary European History, 17 (2), 2008)を読んだことがあり、大変に感銘を受けていた。しかし、その分析は何も必ずしも「ナショナル・インディファレンス」という概念を用いなくても十分に説得力があったように思う。今読み返してみると、確かにこの概念が用いられているが、正直最初に読んだ時には、その部分についてはほとんど印象に残らなかった。私としては、ブルーベイカーの「認知的」でかつ「事件史的(eventful)」なアプローチだけで十分という気がしている。(追記)2023年に邦訳が出版されている。

Florian Bieber. Debating Nationalism: The Global Spread of Nations. 2020. Bloomsbury Academic.
現代的な視点からの新しいナショナリズムの概説書。ブルーベイカーやウィマーといった最新の社会学的な知見も取り入れつつ、ネーション/ナショナリズムのグローバルな波及という視点から論じている。また、近年の移民問題やナショナル・ポピュリズムとの関係にもそれぞれ章を割いているのもよい。

Zlatko Hadžidedić, Nations and Capital: The Missing Link in Global Expansion. Routledge, 2022.
ネーションと資本主義の関係という、ありそうでなかったテーマを追求した著作。著者(発音の仕方がわからないが)は初めて聞く名前だが、ボスニア・ヘルツェゴヴィナの研究者らしい。ネーションを「言論(discourse)」ととらえ、ナショナリズムを「競合する言論との永続的闘争の中にある言論」と定義するなど、理論的にはなかなか凝っている。また、ジョン・ロックと同世代の思想家アルジャーノン・シドニー(この名前を私はこの本で初めて知った)のネーション主権論に注目するところも面白い。しかし、ナショナリズムを階級支配を「国民全体のため」と偽装することで、「資本主義エリート」の支配の維持に寄与するととらえる機能主義的・道具主義的な議論には疑問を抱かざるを得ない。

Harris Mylonas and Maya Tudor, Varieties of Nationalism: Comminitieeeees, Narratives, Identities. Cambridge University Press, 2023.
ナショナリズムは現在でもなお、国内政治・国際政治を動かす重要な動因のひとつであるとする視点から、ナショナリズムの多様性を把握する分析枠組みの構築を目指して書かれた書。本文は60頁余りの短い本だが、経験的にナショナリズムを分析するためにはかなり有効な枠組みが提示されている。「ネーション」を単一の共同体ととらえるのではなく、エリート、民衆それぞれの間で異なった概念の担い手に分裂していることを前提にしつつ、またネーションの概念それ自体の多様性(それを「帰属性(ascriptiveness)と「意味の分厚さ(thickness)」の変数ととらえる)とその「顕現性(salience)」の程度から把握する。


[規範理論]
(リベラリズムの立場からナショナリズムを再評価しようとする論調とそれへのコメントや批判)

●Yael Tamir, Liberal Nationalism, Princeton University Press, 1993

●David Miller, On Nationality, Oxford University Press, 1995[邦訳あり]

●Will Kimlicka, Multicultural Citizenship: A Liberal Theory of Minority Rights, Oxford University Press, 1995

●Margaret Canovan, Nationhood and Political Theory. Edward Elgar, 1996)

●Ronald Beiner, Theorizing Nationalism, State University of New York Press, 1999

●Ross Poole, Nation and Identity. Routledge, 1999

●Alain Dieckhoff, The Politics of Belonging, Nationalism, LIberalism, and Pluralism, Lexington Books, 2004,

●Yael Tamir. Why Nationalism. Princeton University Press. 2019.



[グローバル化の中の国民国家/ネーション]
(20世紀末からのグローバル化の中で、国民国家やナショナル・アイデンティティがもつ意義について論じたもの。)

●Robert J. Holton, Globalization and the Nation-State, Macmillan/St.Martin's Press, 1988

●Michael Hardt and Antonio Negri, Empire. Harvard University Press, 2000
超有名な書。なにはともあれ、必読の書。国民国家の時代が終わり〈帝国〉という「新たな主権の形式」が出現しつつあるという議論は明快。だが、著者が「〈帝国〉」とよぶグローバルな法規範や社会経済体制が生まれつつあることはある程度納得できるが、なぜそれが国民国家にとってかわる「主権の形式」なのかが私には不明。何よりも国民国家自体の分析があまりに脆弱。が、しかし引用されている文献の多さ、視点のとり方の巧みさは、大著ながら読者を飽きさせない。そして複雑かつ新規な理論的概念を駆使しながらも、本書の英語のエレガントさには圧倒される。ネグリは英語のネイティヴではないから、おそらくハートの文章だろう。この明快な美文を味わうためにも、ぜひ英語原著での読書をお勧めしたい。邦訳はあり(以文社)。しかしこの邦訳書の表紙の著者表記はなんだろう。「アントニオ・ネグリ」を大きな文字で最初に置き、やや小さい文字で「マイケル・ハート」を後に置いている。原著はハートが先でネグリが後(アルファベット順だろう)。そして大きさは全く同じ。(“Michael Hardt & Antonio Negri”と表記されている)。ネグりという名前の権威におもねったような邦訳書の商品戦略が、私には大変に不快である。(おそらくネグリの意向にも反するのではないか。)

●Paul Kennedy and Catherine J. Danks, eds., Glibalization and Natonal Identities: Crisis or Opportunity? Palgrave, 2001

●Günter Mardus, Zur bisherigen und zukünftigen Rolle der europäischen Nationalstaaten, Peter Lang, 2002

●T. V. Paul, G. John Ikenverry, and John A. Hall, eds., The Nation-State in Question, Princeton University Press, 2003
グローバル化懐疑論。グローバル化は国家の機能を減退させているのではなく、ある面においては増強させていると論じる論文が並べられている。。

●Linda Weiss, States in the Global Economy: Bringing the Domestic Institutions Back In. Cambridge University Press, 2003
グローバル経済が「国内制度」を媒介にして国家に「拘束的」な作用を及ぼしたり、「活性化」の作用を及ぼしたりするという枠組み(リンダ・ウェイスの論文に書かれている)にした諸論文。

●Michel Seymour (ed.), The Fate of the Nation State. Montreal & Kingston: McGill-Queen's University Press, 2004
(⇒上記参照)

● Stephan Leibfried and Michael Zürn (eds.), Transformations of the State?. Cambridge University Press, 2005
グローバル経済が国家を「拘束」する面と「活性化」する面の双方から分析する。

●Joachim Hirsch, Materialistische Staatstheorie (VSA-Verlag, 2006)
ドイツのマルクス主義国家論者であるヒルシュが、グローバル化と国家との関係について論じた書。資本のグローバル化とともに、「安全保障国家」から「国際化した競争国家」へと変貌するという議論。新自由主義の台頭も、この図式によって説明されている。題名が「唯物論的国家論」であり、1970年代から一貫してマルクス主義的視点から国家を論じてきた著者の意志が感じられる。グローバル化が国家を消滅させるとするネグリの「〈帝国〉論」を仮想敵の一人にしている。新自由主義は国家の経済的・軍事的特性を突出させると論じ、グローバル化を単純に国家の能力の衰退ととらえるグローバル化論とは一線を画している。ミネルヴァ書房から邦訳あり。邦題は『国家・グローバル化・帝国主義』。こちらの方がタイトルとしては「キャッチ―」である。

Andre Gingrich and Marcus Banks, Neo-Nationalism in Europe and Beyond: Perspectives from Social Antrhropology. Berghahn Books, 2006.
発行されてから15年以上後に読んだが、2010年代の議論を先取りしたような論考。旧来の「極右(right-wing extremism)」を現代の右翼を区別し、後者を「ネオナショナリズム」と規定して議論を展開している。議会制を否定ないこと、暴力的な手法を用いないこと、ナチズムやファシズムとの距離を置いていること、そしてグローバル化に対して「ネーション」の価値を主張することがネオナショナリズム」の特徴である。また「日常」に密着した「下から」の視点ということで「人類学」を強調している点がユニークだが、今の社会学の視点とそれほど大きな違いはない。議会を通じて勢力を拡張し、政府の意思決定にも影響を与えるようになった右翼政党を「ネオナショナリズム」ととらえて、その動向を探る論文集。欧州諸国の他にインドとオーストラリアが扱われている。「社会人類学的視点」ということで、フィールドワークをベースにした論文が並べられている。

●Achim Hurrelmann, Stephan Leibfried, Kerstin Marteus, and Peter Mayer (eds.), Transforming the Golden-Age Nation-State. Basingstoke: Palgrave Macmillan, 2007
ドイツの政治学者による共同研究。ドイツ語版もある。「黄金時代の国民国家」をモデルにして国民国家の四つの機能を指摘し、グローバル化時代におけるその変化を検討するという方法をとる。今のところ、もっとも説得力のある「国民国家の変容」分析である。

Liav Orgad, The Cultural Defense of Nations: A Liberal Theory of Majority Rights. Oxford University Press, 2015.
リベラルな先進国における移民政策での「多数派の権利」の問題を、「ネーションの保護」という観点から論じたもの。

Wendy Brosn, Walled States, Waning Sovereignty. Zone Books 2017

●Christian Joppke, Neoliberalism and Nationalism: Immigartion and the Rise of the Populist Richt, Cambridge University Press, 2021.
近年の移民政策・国籍政策を「ネオリベラル・ナショナリズム」ととらえるヨプケの新しい本。「軽いシティズンシップ」を論じていた10年前の本とはだいぶ趣を異にしている。しかし、個人的にはこの本は、ヨプけが書いた本の中で最も面白く、また共感するところが大きかった。ただ「ネオリベラリズム」の概念をやや実体化しすぎている面もないわけではない。

Liav Orgad and Ruud Koopmans, Majorities, Minorities, and the Future of Nationhood. Cambridge University Press,2023
マジョリティ(多数派)の視点から現代のネーションの問題を論じた興味深い論文集。クープマンズの他、カウフマン、バウベック、タミール、キムリッカ、ヨプケ、グッドハートなど、そうそうたる執筆陣である。今後の先進諸国におけるネーションやナショナリズムについて考える際のカギとなる本になるだろう。



 ≪2010年代の右翼ポピュリズムをナショナリズムの観点から論じた著作≫
Roger Eatwell and Matthew Goodwin, National Populism: The Revolt against Liberal Democracy. (Penguin, 2018)
右翼ポピュリズムを「ナショナル・ポピュリズム」と呼び、それを生み出した構造的要因を「4つのD」として指摘する。Distrust(不信)、)、Distruction(破壊)、Deprivation(剥奪)、De-allignment(脱連携)の4つがそれである。その「4つのD」は、単にナショナル・ポピュリスト政党(右翼政党)を台頭させているだけではなく、それ以外の政党や政府の政策全般を「ナショナル」な方向に動かしている。この傾向を著者は "national populist-light" (軽いナショナル・ポピュリスト)と呼んでいる。非常によく書けて本で、このテーマに関する著作としてはイチ押しのもの。

・Kai Hirschmann, Der Aufstieg des Nationalpopulismus. Wie westliche Gesellschaft politisiert werden. Bundeszentrale für politische Bildung. 2018.
右翼ポピュリズムを「左対右」のカテゴリーではとらえきれないという認識から、「ナショナルポピュリズム」概念の有効性を主張する。ナショナルポピュリズムは、ナショナリズム、イデオロギー化されたグローバル化批判、急進的構築主義、文化レイシズム、ポピュリズムの五つの要素が組み合わさった「コンビネーション・イデオロギー」であるとされ、従来の左右を超えた広い支持が可能になっているとされる。

・Eric Kaufmann. Whiteshift: Populism, Immigration and the Future of White Majorities. Penguin. 2018
イギリスで教える気鋭の政治学者による重厚な著作。著者はアントニー・スミスの弟子にあたる人のようである。西欧北米における移民政治とポピュリズムの変化について分析した大著。題名の"whiteshift!とは、白人中心の人口構成が変化することを意味する。「エスニック」とも「シヴィック」とも異なる「エスノ伝統的」という概念を用いて、「ホワイトシフト」するなかでの保守派のネーション理解に焦点を当てて議論が進む。非常に明晰かつ知的刺激に満ちた名著といえる。

・Fernando Lopez-Alves and Diane E. Johnson, eds., Nationalism in Europe and the Americas (Routledge, 2019)
ヨーロッパよりも北米・中南米に力点が置かれたもの。ここでは右翼ポピュリズムのことを「ポピュリスト・ナショナリズム」と呼んでいる。

・Eirikur Bergmann, Neo-Nationalism: The Rise of Nativist Populism. Palgrave. 2020.
第二次大戦後の西洋における「ネオ・ナショナリズム」の3つの波を論じた本。ここで「ネオ・ナショナリズム」とは、戦後の「自由で民主的」な体制に対抗する「ネイティヴィスト的ポピュリズム」のことで、第一の波が石油危機後、第二の波が共産主義体制の崩壊と9.11の後、そして第三の波がリーマン・ショックと難民危機以後とされる。2010年代の「右翼ポピュリズム」の台頭を、戦後の「自由で民主的」な体制の下で繰り返される現象の一部としてとらえている点がユニークである。著者はアイスランドの研究者。全体として議論が記述的で、分析が弱いという印象である。だが、「ネオナショナリズム」というとらえ方には注目すべき点があると思う。国民国家の枠組みの下で「自由で民主的」な(「リベラル」な)体制を構築した先進諸国において、このような「ネオ・ナショナリズム」の発生は不可避なのかもしれない。

Richard W. Mansbach and Yale H. Furguson, Populism and Globalization: The Return of Natinonalism and the Global Liberal Order (Palgrave, 2021)
近年の右翼政党の伸長を「ナショナル・ポピュリズム」という概念でとらえる。欧米の他「グローバルサウス」や中東も射程に収められている。



[日本語によって書かれた研究]

●山内昌之『民族問題入門』(中公文庫、1996)
題名のとおりの優れた入門書。やや古くなったが一読の価値有り。

●田口富久治『民族の政治学』(法律文化社、1996)

●『岩波講座 現代社会学 24:民族・国家・エスニシティ』(岩波書店、1996)
名前のワリiに社会学らしくない論文集。

●西川長夫『国民国家論の射程:あるいは「国民」という怪物について」(柏書房、1998)
日本における国民国家論の代表的論者の論文集。だが、アルチュセールを下敷きにしながら、「同質化」のイデオロギー装置として国民国家を捉える西川氏の国民国家論は、一面的に過ぎるのではなかろうか。

●谷川稔『国民国家とナショナリズム』(山川出版社、1999)
高校の世界史と大学の西洋史の「つなぎ」的なシリーズである山川の「世界史リブレット」の1冊。このシリーズらしい、コンパクトにまとまった良書。「国民国家の形成」に焦点を当てて、ドイツ、フランス、イギリスが概観され、最後にアンダーソンに代表される「近代主義」とスミス「エスノシンボリズム」のバランスのとれた議論が簡単に展開されている。近代的国民国家の発生の契機を「ナポレオン」に置きながら、まずドイツの事例から入るあたりは、なかなかよい。このようなヨーロッパを中心とした国民国家とナショナリズムの概説書でもう少し詳しいものもあってよいのではないか。

関曠野『民族とは何か』(講談社現代新書、2001)

姜尚中『ナショナリズム』(岩波書店、2001)
「思考のフロンティア」シリーズの一冊。ナショナリズムの概論的なものを期待すると裏切られる。大半が日本の「「国体」ナショナリズム」にあてられている。題材が狭すぎる。もう少し一般的な「ナショナリズム論」を展開してほしかった。

松本健一『民族と国家』(PHP新書、2002)

大澤真幸編『ナショナリズム論の名著50』(平凡社)
欧米および日本のナショナリズム論の代表的著作を古典から現代に至るまで紹介した便利な書。

姜尚中・森巣博『ナショナリズムの克服』(集英社、2002)
題名の通り、ナショナリズム批判の書。

山内昌之『帝国と国民』(岩波書店、2004)

井崎正敏『ナショナリズムの練習問題』(洋泉社、2005)
日本的文脈の上で,リベラリズムの立場からナショナリズムを評価しなおそうとしたもの。

黒宮一太『ネイションとの再会』(NTT出版、2007)
アレントを基礎としたネーション論。しかしアレントの「故郷喪失」と戦後日本の「故郷喪失」を並べて論じるのには違和感があるが(思想的すぎて社会学的には検証に耐えないだろう)、ネーションを「遺産の共同管理者・作成者」と捉える視点は興味深いものもある。

大澤真幸『ナショナリズムの由来』(講談社、2007)
ようやく出版された大澤氏の超大著。

塩川伸明『民族とネイション――ナショナリズムという難問』(岩波書店,2008)
ナショナリズム論入門の決定版。なによりも、ナショナリズムを思想的・哲学的に語るのではなく、ナショナリズムの「事実」から語っているところがよい。意外にも、こういう入門書がすくないのである。著者はソ連の民族問題の専門家。専門領域における知識も確かだが、その他の領域において参照している研究も信頼にたるものばかりである。。

中野剛志『国力論――経済ナショナリズムの系譜』(以文社、2008)
ヒューム、ハミルトン、リスト、ヘーゲルと連なる経済ナショナリズムの系譜を辿った書。明解かつ新鮮。ナショナリズムが経済発展の原動力になり、経済政策はネーションの力(生産力)育成に向けられるべきである。なぜなら、人間の経済活動は文化、歴史、習慣、制度から大きな影響を受け、それらを蓄積したものがネーションだからである。このような経済ナショナリズムの思想は、社会学の発想に近い。「埋め込まれた経済」(グラノベッター)という概念が経済社会学にはあるし、「契約の非契約的要素」(デュルケーム)という概念もある。またパーソンズの社会的行為理論も、経済行為に関して似たような発想をする。(実際彼は、中野が経済ナショナリストとしてあげるアルフレッド・マーシャルを社会学的行為理論の流れのなかに位置づけている)。このような理由からか、私にとって経済社会学の思想は、当たり前なくらいに至極もっともななものに思われ、これが「異端」であり続けたという経済学の事情の方がむしろ不思議なくらいであった。興味深かったのは、経済ナショナリストたちが、ネーションの形成についてゲルナーに近い議論を行っているということだった。経済発展が社会移動とコミュニケーションを活発化し、それがネーションの統合や連帯を可能にしたという議論である。ただ、経済ナショナリストたちの大半が、その前提として国家の制度や政策の意義を指摘している点は、ゲルナーと違う。ゲルナーにはない政治的視点がある。

●大澤真幸・姜尚中編『ナショナリズム論・入門』(有斐閣、2009)
ナショナリズム論の入門書を銘打っているが、難解。大学院生以上向き。理論と地域ごとの事例分析からなる。内容は執筆者によってバラバラで、あまり「入門」を意識していないようなものもある。チームワーク最低の入門書。私(=佐藤)も第1章「ナショナリズムの理論史」を分担執筆し、チームワークの悪さに貢献している。気に入ったもの、読みやすそうなものをピックアップして、つまみ読みすることをおすすめする。

原百年『ナショナリズム論 社会構成主義的再考』(有心堂、2011)
英語圏のナショナリズム論の状況をまとめたもの。ナショナリズムの理論状況を勉強するのに最適。日本語でこれまでこのようなていねいな紹介がなかったことを考えると、大変に有効性も高い。ナショナリズム論を「原初主義」「エスノ・シンボリズム」「近代主義」「社会構成主義」というよっつの系列に分類している。ÖzkirimliやA.D.Smithに範をとりながらも、最終的に「社会構成主義」の視点から考察を加えているところにオリジナリティがある。社会構成主義心理学のGergenの枠組みを使っているところも説得力がある。

●萱野稔人『新現代思想講座 ナショナリズムは悪なのか』(NHK出版新書、2011)

伊藤定良・伊集院立『国民国家と市民社会』(有志舎、2012)
二人の著者はドイツ史学者。国民国家の研究史(特に日本の歴史学分野における研究に光が当てられている)のまとめに続き、ドイツを中心としたネーションと国民国家形成が論じられながら、途中に市民社会とエスニシティの問題(中央アフリカの例がひかれている)アフリカが扱われている。まとまりには欠けるが、国民国家研究に新たなアプローチで迫ろうとしている気概は伝わってくる。特に「ソシアビリテ(社会的結合)」概念とエスニシティとが論じられている部分があり興味をひかれるが、この両者の関連性についてもうすこし明確にできなかったのかという感じが残る。

●上野千鶴子『ナショナリズムとジェンダー』(新版)(岩波書店、2012)
1998年に青土社から刊行された『ナショナリズムとジェンダー』にその後書かれた「慰安婦」関係のエッセイを中心に加えて大幅に増補されたもの。実は上野千鶴子さんの単行本は、この「新版」まできちんと読んだことがなかった。切れ味のよい文章、目配りのよい論点整理、巧みな論争技術など、さすがだな、と思わざるをえない。最初におかれた「ナショナリズムとジェンダー」が本格的なナショナリズム論。「女性の国民化」に関する既存文献をわかりやすく整理している。全体を通して、視点は1990年代の「ポスト構造主義的」な「国民国家」論の典型である。また「慰安婦と「加害者責任」をめぐる論争は、「民族」「国家」をめぐる現代的論争であり、著者自身がそのメイン・プレーヤーの一人である。

押村高『国家のパラドクス ナショナルなものの再考』(法政大学出版局、2013年)
前半は国家論、後半はナショナリズム論。国家を基軸にしたナショナリズム論として評価できるが、主権や安全保障という国家にかかわる概念をナショナリズムに簡単に結び付けてしまうところは、社会学者から見るとあまりに「政治学的」と言わざるを得ない。その間に介在する「社会的」な要因が看過されていしまっているように感じられてならない。

植村和秀『ナショナリズム入門』(講談社現代新書、2014年)
世界各地の個別具体的な事例からナショナリズムにせまる。理論志向が強くなりがちなナショナリズム研究において、なかなかユニークな視点をとった「入門」書である。著者が私に「ナショナリズム論入門の手前のナショナリズム入門」と説明してくれたが、むしろ「ナショナリズム論」に向かっていないところが、この本の魅力だと思う。著者はドイツと日本を専門のフィールドにしているが、本書で扱っているのは、東欧、ヨーロッパ全般、アメリカ、中東と幅広い。また、日本語でアクセス可能なすぐれた学術的研究(その多くはこのHPで紹介されていない)が豊富に紹介されているところも、本書の強みだと思う。

塩川伸明『ナショナリズムの受け止め方―言語・エスニシティ・ネイション』(三元社、2015年)
ナショナリズムへのアプローチについて理論的な考察を行った論文を集めたもの。

施光恒『英語化は愚民化 日本の国力が地に落ちる』(集英社、2015年)
タイトルは「トンでも本」ぽいが、内容は「言語とネーション」に関する本質的な問題がまじめに論じられている。そのうえで、近年の日本における「英語化」の風潮が厳しく批判されている。大学でも「SGU構想」などが強引に進められているこんにち、一読の価値のある好著である。

●津田正太郎『ナショナリズムとマスメディア 連帯と排除の相克』(勁草書房、2016年)
基本的には、過去に出版された論文を集めた論文集。ナショナリズムは人々の「連帯」を促進するのか、あるいは排除をもたらすのか、ナショナリズムの「排他性」はいかに緩和されるのかなどといった規範的問題を軸に据えながら、ナショナリズムとメディア、ナショナリズムと民主主義、ナショナリズムのコミュニケーション理論的基礎付けなど、ナショナリズムをめぐる様々な問題が論じられている。現在の議論の水準を知るのによい。

将基面貴巳『愛国の構造』(岩波書店、2019年)
「愛国主義(パトリオティズム)」の思想史的系譜とその構造をたどり、愛国主義とネーション・国家との結びつきを批判的に論じた研究。愛国主義の系譜は古代ローマにまでさかのぼる。「ナショナリズム」研究の陰に隠れ、それ自体研究の対象となってこなかった「愛国主義」の学術的研究として貴重なもの。『公明新聞』の読書欄に書評を書いた(「最近の仕事から」参照)。



・事例研究を含んだ論文集

蓮實重彦・山内昌之編『いま、なぜ民族か』(東京大学出版会、1994)
東大教養学部で開かれたシンポジウムの記録。

●歴史学研究会編『国民国家を問う』(青木書店、1994)
トピックの選び方、視点ともに、いかにも「歴研」らしい論文集。ある意味オーソドックス。

中谷猛・川上勉・高橋秀寿編『ナショナル・アイデンティティ論の現在』(晃洋書房、2003))
トピックの選び方が面白い論文集。

●佐藤成基編『ナショナリズムとトランスナショナリズム――変容する公共圏』(法政大学出版会、2009)
ナショナリズム研究の新たな研究領野を開拓することを目指したもの。「方法論的ナショナリズム」批判を試みた拙論も掲載されている。


・規範理論
●施光恒・黒宮一太『ナショナリズムの政治学――規範理論への誘い」(ナカニシヤ出版、2009)
多文化主義とナショナリズム、リベラル・デモクラシーとナショナリズム、公教育とナショナリズムなどのテーマから、ナショナリズムの規範理論的に光を当てた書。オリジナルな視点の提示というよりも、基本的論点の整理という側面が強いが、編著としてはよくまとまっている良書であるといえる。

●白川俊介『ナショナリズムの力――多文化共生世界の構想(勁草書房、2012)




[辞典類]

世界民族問題事典(平凡社、1995)
大変便利でかつ内容の充実した事典。東ヨーロッパや旧ソ連から第三世界へと目配りもまんべんなく広く、かつ植民地主義の視点もしっかりと取り入れられている。私は授業やゼミでよく使っている。


Encyclopedia of Nationalism (edited by Louis Leo Snyder) Paragon House, 1990.
一世代前のナショナリズム研究の成果。なかなかの力作。地域ごとの項目が中心で「日本のナショナリズム」という項目もある。しかし、現在であれば「定番」であるはずのアンダーソンやゲルナーの名前は全く登場しない。だが、今読むと発見もある。ほとんど忘れ去られた「百科事典」であるが、一見の価値あり。

Encyclopedia of Nationalism, 2 vols. (edited by Alexander J. Motyl) Academic Books, 2000
概念・理論編と地域編に分かれる。各分野の第一人者もしくは先端の研究者が執筆していて充実している。編者のモートイルはソヴィエトの専門家である。編集委員はブルイリーを除き、アメリカ合衆国で職をもつ研究者である。次のTransaction Booksから出ているイギリス系の執筆者からなる辞典と対照的である。

Encyclopaedia of Nationalism (edited by Athena Leoussi), Transaction Books, 2001
アンソニー・スミスがアドヴァイザーとしてかかわっており、全体としてASEN系の傾向が強000い。内容は理論、テーマ中心で、「ナショナリズムの道具主義的アプローチ」とか「ナショナリズムと音楽」などの項目が並んでいる。

The SAGE Handbook of Nations and Nationalism (edited by Gerard Delanty and Krishan Kumar), Sage Publications, 2006
これも執筆陣が充実している。左右2段で550頁を超える。どの項目も読み応えあり。こういうハンドブックがさっと出来てしまうところがすごい。個人的には一番親近感を覚える「百科事典」である。

The Oxford Handbook of the History of Nationalism (edited by John Breuilly). Oxford University Press, 2013..
「ナショナリズムの歴史」のハンドブック。ジョン・ブルイリーが編者。36の章からなる論文集で、それぞれの章を一人の著者が担当している。全体は750頁を超える。歴史は地域ごとにまとめられており、理論的・概念的なパートも備えている。個別ケースに偏らず、ナショナリズムの歴史をグローバルな視点から概観できる素晴らしいハンドブックだと思う。観点も新しい。ただ、日本の扱いは小さい。

Research Handbook on Nationalism (edite by Liah Greenfeld and Zeying Wu). Edward Elgar. 2020
社会学でも「ナショナリズム」が問題とされるようになって久しいが、「ナショナリズム」それ自体を対象とした研究はわりに少ない。「ナショナリズム」という現象それ自体が経験的研究の対象として特定するのが難しく、あえて特定しようとすると「ナショナリズム」を実態視してしまうリスクが伴うからである。「ナショナリズム」は具体的な制度や実践それ自体として扱うことが難しいのである。そのようななか、この「ハンドブック」は、「ナショナリズム」それ自体を直接の研究対象として扱う論文が並んでいる。編者の1人の(おそらくこのハンドブックの中心的存在である)グリーンフェルドのアプローチが土台にある。全部で33の論文から構成されたこのハンドブックは、西洋に限定される、中国をはじめとする世界各地の例がまんべんなく並んでいるのも、この本の強みである。




【2 比較研究】

Miroslav Hroch, Social Conditions of National Revival in Eurpe: A Comparative Analysis of the Social Composition of Patriotic Groups among the Smaller European Nations, Columbia University Press, 2000 [oroginally published in German in 1968 and 1971 in Prague; the translation first published by Cambridge University Press in 1985]
中央・東・北ヨーロッパのナショナリズムを包括的に比較した名著。ホブズブームが『ネーションとナショナリズム』の中で高く評価している。著者のフロッホは旧チェコスロバキア(現在はチェコ)の歴史家で、マルクス主義の理論枠組みを用いている。

Reinhard Bendix, Nation-Building and Citizenship, University of California Press, 1977
ヴェーバーの支配概念、トクヴィルの議会制概念、マーシャルのシチズンシップ概念などを巧みに用いて比較歴史社会学的研究を行ったもの。

●Rogers Brubaker, Citizenship and Nationhood in France and Germany, Harvard University Press, 1992
フランスとドイツにおける国籍形成の比較歴史社会学。エスノ文化的ネーション、国家中心的ネーションの二つの「文化イディオム」の作用を中心に分析。佐藤成基/佐々木てる監訳による翻訳あり(明石書店)。

Liah Greenfeld, Nationalism: Five Roads to Modernity, Harard University Press, 1992
イギリス、フランス、ドイツ、アメリカ、ロシアの比較研究。近代初期(16~17世紀)におけるナショナリズムの発生が、それぞれの国のその後の「近代への道」を規定したという議論。ナショナリズム発生の際の、社会的地位をめぐる闘争とネーション観念との相互連関関係の分析になかなか面白いところがある。詳細は大澤真幸編『ナショナリズムの名著50』を参照せよ。

Lyn Spillman, Nation and Commemoration: Creating National Identities in the Unitede States and Australia, Cambridge University Press, 1997
いわゆる「移民国家」とされるアメリカ合衆国とオーストラリアにおけるナショナル・アイデンティティを、建国百周年,二百周年の記念式典における「コメモレイション」を分析することで比較しつつ明らかにしようという著作。ナショナル・アイデンティティを「文化的レパートリー」として分析するという最近の新しい文化社会学の方法論を用いている。

●Ernst B. Haas, Nationalism, Liberalism, and Progress, Volume 1 : The Rise and Decline of Nationalism, Ithaca: Cornell University Press, 1997; Nationalism, Liberalism, and Progress Volume 2: The Dismal Fate of New Nations, Ithaca: Cornell University Press, 2000
著者は2003年に死んだドイツ生まれのアメリカの政治学者。この二巻本を出版したとき、UCバークレーの名誉教授だった。議論は「リベラル・ナショナリズム」が近代の社会形成に果たした貢献について、多くの事例を比較しつつ分析したもの。第一巻はイギリス、アメリカ、フランス、ドイツ、日本。第二巻はイラン、エジプト、ブラジル、メキシコ、中国、ロシア、ウクライナ。この視野の広さには感服せざるを得ない。

Adrian Favell, Philosophies of Integration: Immigration and the Idea of Citizenship in France and Britain, Palgrave, 1998

Jack Snyder, From Voting to Violence: Democratization and Nationalist Conflict, Norton, 2000
民主化がナショナリズム・民族紛争を高めるというテーゼを、様々なケースを題材に検証した野心的著作。19世紀ヨーロッパから、現在のアジア、アフリカにいたるまで、扱う範囲は広い。

Michael Keating, Nations against the State: The New Politics of Nationalism in Quebec, Catalnia, and Scotland, Palgrae, 2001 [2nd edition]
キーティングは、ヨーロッパ、カナダなどの地域ナショナリズムを専門に研究している研究者で、この著作は彼のこれまでの研究の集大成的なものと思われる。

Riva Kastoryano, Negotiating Identities: States and Immigrants in France and Germany, Princeton University Press, 2002 [originally published in French in 1998]

Andreas Fahmeir, Citizens and Aliens: Foreigners and the Law in Britain and the German States, 1789-1870. Berghahn Books, 2000.
イギリスとドイツにおける国籍形成の比較指摘比較史的研究。フランス革命期からドイツ統一直前までの時期に焦点を当てている。この時代に注目することで、国籍が形成される過程がよくわかる。ドイツの場合、ドイツ連邦を構成する諸邦の国籍法の形成が扱われており、放浪者の国外追放をめぐる諸邦間の条約において諸邦の国籍が形成されてきた経緯が論じられている。この時代に血統による国籍付与が定着するが、これが決して「エスノ文化的」なネーション理解と関連していない点が強調されている。これはブルーベイカーの研究に対するアンチテーゼとなることが意図されている。

Ulrich Bielefeld, Nation und Gesellschaft. Selbstthematisierungen in Deutschland und Frankreich. (
Hamburger Etition, 2003

「ネーションの自己主題化」に関する比較研究。比較の対象はフランスとドイツ。いっけん、国としてはよくある比較対象だが、特定の作家や学者が比較の題材として選ばれいる。その選び方が面白い。まずフィヒテvs.モーリス・バレス。次にヴェーバーvs.デュルケーム。そしてエルンスト・フォン・ザロモン(第一次大戦後の過激ナショナリズムから第二次大戦後に平和主義者に転換した作家)vs.ルイ=フェディナン・セリーヌ(左翼作家とみなされながら反ユダヤ主義でも知られる作家)。作家や学者による国民社会の表象や記述を単なる「思想としてとらえるのではなく、国民社会を構築・再構築する機能をもった現実の一部としてとらえる「自己主題化」の概念は、もちろんニクラス・ルーマンに由来するものである。

Irene Bloemraad, Becoming a Citizen: Incorporating Immigrants and Refugees in the United States and Canada. University of California Press, 2006)
アメリカ合衆国とカナダにおける移民包摂とシチズンシップに関する比較研究。

Sebastian Conrad, The Quest for the Lost Nation: Writing History in Germany and Japan in the American Century. (California University Press, 2010)
「負けた国」であるドイツと日本の戦後の歴史記述を比較したもの。ドイツで多少「知日的」な研究者は、「過去の克服」の努力を重ねてきたドイツとそうでない日本を規範的立場から対比する場合が少なくないが、この著者はそのような(歴史学者としては)安易な観点をとっていない。私も著者の観点にはおおむね同意できる。なおThe Asaih Shinbun GLOBE (Feb. 3-16, 2013)に著者コンラッドのインタビューが掲載されている。そこで現在のアジアにおける日本にとっての「歴史問題」の困難な状況について「ドイツに比べ日本の状況を難しくしているのは、隣の中国に自己批判の精神がほとんどないことだ」と述べ、そうなっている原因を戦後のヨーロッパと東アジアの国際関係の違いに求めている。

Vera Caroline Simon, Gefeierte Nation. Erinnerungskultur und Nationalfeiertag in Deutschland unf Frankreich seit 1990. (Campus. 2010)
またまた出た独仏比較研究。題名を訳すと「祝福されたネーション:1990以後のドイツとフランスにおける記憶の文化と国民的祝日」となる。具体的にはフランスの7月14日(革命記念日)とドイツの10月3日(統一の日)の「記憶の文化」の比較を行ったもの。


田辺俊介『ナショナル・アイデンティティの国際比較」(慶応大学出版会、2010)
ISSP1995年のナショナル・アイデンティティ調査のデーターを用いた、数量的的分析の手法で、日本、ドイツ、アメリカ合衆国、オーストラリア4国のナショナル・アイデンティティの比較を行なったもの。分析結果にそれほどの意外性、新鮮さはないが、なにより数量データを用いて4国のナショナル・アイデンティティの相違と共通点をあぶりだした意義は大きい。

河原裕馬・島田幸典・玉田芳史編『移民と政治 ――ナショナリズム・ポピュリズムの国際比較』(昭和堂、2011)
最近の移民・外国人排斥運動を国際比較した興味深い論文集。韓国だけが外国人を包摂しようという「ナショナリズム・ポピュリズム」が発生しているという指摘も面白い。



【3 事例研究】

[ヨーロッパ]

イギリス
●Charles Leddy-Owen, Nationalism, Inequality and England's Political Political Predicament (Routledge, 2020)
現代イギリスのポピュリスト的なナショナリズムについ論じたもの。その分析視点がよい。


フランス
●Eugen Weber, Peasants into Frenchmen: The Modernization of Rural France, 1870-1914 (Stanford University Press, 1979)
名著。フランス史研究だが、ナショナリズムの一般的な議論の中でも頻繁にとりあげられる。内容はタイトルに明瞭にあらわされている。19世紀初頭フランスは言語的に多様な状況にあった。現在われわれが「フランス語」とみなす言語パリを中心とするイル・ド・フランス近辺で使われていたにすぎなかった。しかし第三共和政期(1870年代から第一次大戦前まで)に、学校教育や徴兵制を通じてフランス語およびフランスの国民意識は広くフランス全土へと拡大していった。「農民はフランス人へ」変えられていったのである。

Maxim Silverman, Deconstructing teh Nation: Imigration, Racism and Citizenship in Modern France (Routledge, 1992)
ストレートに「構築主義的」なタイトル。いかにもこの時代(1992年出版)らしい。内容は移民と国民国家について歴史的に論じ、1980年代の極右の問題についても言及したもので、今読むと、とてもオーソドックスで好感がもてる。私も、ドイツについてこのような本を書きたいと考えている。本書の中身の方は、フランスのレイシズムは、国民国家による「ネーション」概念の形成によってもたらされているという議論。

Peter Davies, The Extreme Right in France, 1789 to the Present: From de Maistre to Le Pen (Routledge, 2002)
タイトルの通り、フランスにおける極右の系譜を追ったもの。フランスというと共和国の伝統に基づく「シヴィック」なナショナリズムという類型論が一般的だが、それに対抗する極右の系譜も根強く存在していることがよくわかる。

David A Bell, The Cult of the Nation in France: Inventing Nationalism, 1680-1800 (Harvard University Press, 2003)

Chimene I. Keitner, The Paradox of Nationalism: The French Revolution and Its Meaning for Contemporary Nation Building (SUNY Press, 2008)


ドイツ
Theodor Schieder, Das Deutsche Kaiserreich von 1871 als Nationalstaat. Köln und Opladen: Westdeutsche Verlag. 1961
第二帝政期ドイツの国民国家論。「ネーション(民族)」と国家との一致しない「不完全な国民国家」としてこの時代のドイツをとらえる視点。歴史学者の著作としては異例に短く、引用されている資料も最小限度のものだが、分析は極めて鋭利。名著である。著者のシーダーは20世紀中半のドイツを代表する歴史学者。戦前ナチスの党員であり、ケーニヒスベルクで「東方研究」に従事し、強制移住政策のシナリオを描くなど問題ある「過去」を持ちながら、、戦後はケルン大学で教え、「追放」の記録編集にも従事する。また、ヴェーラー、ブローシャートなど、戦後ドイツを代表する歴史学者の師でもある。

Kurt Sontheimer, Antidemokratisches Denken in der Weimarer Republik. Die politischen Ideen des deutschen Nationalismus zwischen 1918 und 1933. Nymhenburger Verlagshandlung,
1962 ヴァイマル期におけるナショナリズムの「フェルキッシュな転換」を,政治思想を中心に論じた古典的著作。近年注目が集まっている所謂「新保守主義」の思想家をとりあつかっている。このテーマに関し,この書を凌ぐものはまだ現れていないと思う。邦訳あり。

Geoff Eley, Reshaping the German Right: Radical Nationalism and Political Change after Bismarck (New Haven: Yale University Press, 1980)
ドイツのナショナリズムへの新たなアプローチを示した画期的研究。グラムシの「市民社会」概念を用いている。全体の構成が複雑でなかなか読みづらい。理論的議論が全編の真ん中あたりに配置されていたりする。あまり明快な構成ではないが、全体の文章は刺激に満ちたものである。

Roger Chickering, We Men Who Feel Most German: A Cultural Study of the Pan-German League 1886-1913. George Allen & Unsinn, 1984.
頻繁に言及される割にあまりまとまった研究が少ないラディカル・ナショナリスト団体全ドイツ協会(Alldeutscher Verband)のに関する著作。この団体が最も影響力を持っていた第二帝政末期を扱っている。このテーマでは代表的研究で,イデオロギー,組織,成員の社会的背景など包括的に扱っているが,あまり理論的な面白さはない。(タイトルに「文化研究」とあるが,いわゆるカルスタの意味とは異なる)

Carol Fink, Isabel V. Hull, and MacGregor Knox (eds.), German Nationalism and the European Response, 1870-1945.Norman and London: University of Oklahoma Press. 1985.
地味だが、フィンクの論文などいくつか重要な論文がおさめられている。

Hagen Schulze, Der Weg zum Nationalstaat: die deutsche Nationalbewegung vom. Jahrhundert bis zur Reichsgründung. München: Deutsche Taschenbuch Verlag, 1985
1871年のドイツ統一までのナショナリズムの歴史を追ったもの。

Michael Hughes. Nationalism and Society: Germany 1800-1945. London et al.: Edward Arnold, 1986
著者の専門は18世紀のドイツ史。

Geoff Eley, From Unificatin to Nazism: Reinterpreting the German Past, Allen & Unwin, 1986
19世紀後半から20世紀中半にかけてのドイツ史をあつかったジェフ・イリーの論文集。どの論文も鋭利な切り口である。ナショナリズム論としては"State formation, nationalism and political culture"がとりわけ面白い。

Harold James, A German Identity 1770-1990. New York: Routledge, 1990
経済的要因(経済的状況の変化)に注目し、ドイツのナショナル・アイデンティティの変化を論じたもの。あつかっている時代の範囲が広い。

John Breuilly (ed.), The State of Germany: The National Idea in the Making, Unmaking and Remaking of a Modern Nation-State. London: Longman. 1992.
基本的に国家論的アプローチからドイツの国民観念の形成を歴史的に分析した論文を集めたもの。ブルイリーやヒューズのものなど、興味深い論文が並んでいる。

●Berhhard Giesen, Die Intellektuellen und die Nation: Eine deutsche Achsenzeit, Frankfurt: Suhkamp, 1993
18世紀からドイツ同一にいたるネーション観念の歴史を、知識人の社会学的分析から明らかにしたもの。(⇒上記参照)

Otto Dann, Nation und Nationalismus in Deutschland 1770-1990. München: Beck. 1993
ドイツのネーション形成とナショナリズムの歴史を中世から現代まで辿った、本格的歴史書。文句のない名著。ドイツのナショナリズムを研究するものにとっては必読の書。ダンは、コーン以来「アングロサクソン系」の歴史家の中で広く知られるようになった「西のネーション/東のネーション」の二分法に批判的であり、この本でもドイツを「帝国ネーション(Reichsnation)」と見る視点を打ち出している。この場合の「帝国」とは、「帝国主義」というときの「帝国」ではなく、ドイツの法的枠組みのことである。ドイツが中世以来、様々な政治形態をとりながら(多くの場合領域的には分断されていながら)その「形」を維持してきたのは、「帝国」という枠組みがあったからだというのが、彼の見方である。しかしその「帝国」も、1990年のドイツ統一によってその役割を終えたといってよい。なお、私は、1993~1994年の間、ケルン大学に短期留学し、ダン先生のゼミにも出させていただいたことがある。邦訳はあるが(名古屋大学出版会)、その原著は1996年の改訂版の方である。

Halmut W. Smith, German Nationalism and Religious Conflict: Culture, Ideology, Politics, 1870-1914. (Princeton: Princeton University Press, 1995)
帝政ドイツ期のの宗派対立とナショナリズムの関係を論じたもの。特にカソリシズムとネーションとの関係に関する議論が面白い。

John Breuilly. The Formation of the First German Nation-State, 1800-1871. New York: St. Martin's Press, 1996
短いドイツの国民国家形成史(1871年まで)。ブルイリーらしい「国家中心的」観点から書かれている。

Manfred Hettling und Paul Nolte, Nation und Gesellschaft. Historische Essays. Beck, 1996.
コッカ、シーハン、モムゼンなど名だたる歴史家に加え、ハーバーマスも寄稿している論文集。

Jörg Echternkamp, Der Aufstieg des deutschen Nationalismus (1770-1840). Frankfurt: Campus, 1998.
ドイツにおけるナショナリズムの発生を論じた本格的な歴史書。

Peter Fritzsche, Germans into Nazis. Harvard University Press, 1998
「ドイツ人がナチスへ」というシンプルなタイトル。第一次大戦を契機としたヴァイマル期におけるナショナリズムの大衆化をわかりやすく,鮮明に描き出した好著。短くて読みやすい

Mary Fulbrook, German National Identity after the Holocaust (Cambridge: Polity, 1999)
この著者らしく幅広く目配りの良い著作。個々のテーマの掘り下げには弱い。しかし、ナチズムとホロコーストという「過去」とドイツのナショナル・アイデンティティの関係という重要な問題を知るには大変に便利な本である。

Jonathan Olsen, Nature and Nationalism: Right-Wing Econogy and the Politics of Identity in Contemporary Germany. St.Martin's Press, 1999
エコロジー思想と右翼ナショナリズムの関係を歴史的に跡付けたもの。ネーションと「自然」との結びつきを明らかにした興味深い研究。現在の緑の党に代表されるドイツのエコロジー思想の源流について明らかにされる。もう少し知られてよい著作だと思う。

Dieter Langewiesche, Nation, Nationalismus, Nationalstaat in Deutschland und Europe. München: Beck, 2000
連邦制的な伝統を強調しながらドイツのネーション(国民国家)の歴史を論じた論文集。

Stefan Berger, Inventing the Nation: Germany. 2000, Bloomsbury
Hughes (1986) 以後、ドイツのネーションの歴史をたどった包括的な著作。出版時点での最新の研究成果も盛り込まれ、戦後(DDRにも一章を割き)もカヴァーしている。よくまとまっていて便利。

Andreas Fahrmeir, Citizens and Aliens: Foreigner and the Law in Britain and the German States 1789-1870. Berghahn Books, 2000.
19世紀(1870年まで)のイギリスとドイツ諸邦における国籍法形成、帰化政策、パスポート政策、在外国民形成を比較した著作。比較研究だがドイツに基軸を置いている。1870年という年もドイツの最初の国籍法が成立した年である。ドイツの各領邦について議論されている点は重要。だが、記述はややわかりにくい。(「比較研究」の項目も参照)

Dieter Gosewinkel, Einbürgerun und Ausschließen: Die Nationalisierung der Staatsangehörigkeit vom Deutschen Bund bis zur Bundesrepublik Deutschland. Vandenhoeck & Ruprecht, 2001
ドイツの国籍形成史の決定版! ロジャーズ・ブルーベイカーによって手を付けられたこのテーマの研究も、ドイツの歴史学者の手によって書き換えられたということができる。

Abigail Green, Fatherland: State-Building and Nationhood in Nineteenth-Century Germany. Cambridge University Press, 2001.
19世紀におけるプロイセン以外の領邦(ハノーファー、ザクセン、ビュルテンベルク)における国家形成と文化的な国民統合(「祖国」形成)を扱った著作。どうしてもプロイセン中心主義的rigkeit. Vergangenheit - Gegenwadt - Zukunft. になりがちなドイツ史のイメージを大きく書き換えてくれる。

Jörg Echternkamp und Sven Oliver Müller (Hrsg.), Die Politik der Nation: DeutscherNationalismus in Krieg und Krisen 1760-1960. München: Oldenbourg, 2002
ドイツナショナリズム研究の新たな領野を開拓しようとした野心的論文集。どの論文も視点がなかなかユニーク

Brian E. Vick, Defining Germany: The 1848 Frankfurt Parliaments and National Identity. Harvard University Press, 2002.
フランクフルト国民議会での議論におけるドイツの国境やドイツ人の定義などに関する考察。1848/49革命とナショナル・アイデンティティにつてはこれまで色々な議論があったが、これは近年の研究として信頼ができそうである。当時の文化的なネーションの概念が「ビルトゥンク(Bildung)」の共有によるもの(つまり教養市民の「高文化」で、民衆的なエスニックな文化ではない)と指摘している点は面白い。

Eli Nathans, The Politics of Citizenship in Germany: Ethnicity, Utility, and Nationalism. Berg, 2004.
ドイツの国籍法の歴史。一次資料をふんだんに用いながらもGosewinkelの著作よりもわかりやすくまとめられている。特に第二帝政期の帰化政策、ナチス期のVolksliste政策が丁寧にせつめいされていて説明されていて大変勉強になった。帝政時代の反ユダヤ人的国籍政策とナチス時代の人種政策との連続性を強調する視点はGosewinkelとは異なっている。ここは議論が分かれるところ。私としてはGosewinkelの方が説得力があるように感じる。

Ute Frevert, A Nation in Barracks: Conscription, Mijlitary Service and Civil Society in Modern Germany. Berg, 2004.
「国民の学校」といわれる兵役制度の研究。19世紀から現代まで広くカヴァーしている。徴兵制が停止(2011年)される前の著作だが、最後に「徴兵制の終わり?」というタイトルの説がある。

Peter Walkenhorst, Nation -Volk - Rasse. Radikaler Nationalismus im Deutschen Kaiserreich 1890-1914. Vandenhoeck & Ruprecht, 2007.
ヴィルヘルム期のラディカル・ナショナリズム運動を扱ったもの。ネーション概念の内容に注目している。

Invo von Münch, Die deutsche Staatsangehörigkeit. Vergangenheit - Gegenwart - Zukunft. De Gruyter Recht, 2007
法学者で、FDPの政治家としてハンブルク市政にかかわったことのあるフォン・ミュンヒのドイツ国籍の過去から現在までを考察した著作。専門的研究書とまでは言い切れないが、ドイツ国籍に関する重要な問題を扱っていて、わかりやすく、かつとても参考になる。特に「ヴァイマルの時代。そして、ヒトラーがドイツ人になる」と題された8章は、ヒトラーの帰化をめぐるかなり詳しい考察が行われていて面白い。

Ruth Mandel, Cosmopolitan Anxieties: Turkish Challenge to Citizenship and Beloging in Germany. Duke University Press, 2008
トルコ人の視点から「ドイツに属する」このの意味を検討したもの。

Geoff Eley and Jan Palmowski, eds., Citizenship and National Idenitity in Twenteenth-Century Germany. Stanford University Press, 2008.
ブルーベイカーの「国籍とネーション議論を受けて開かれたコンフェランスの記録。イリ―が主宰しているので期待していたが、少し期待外れ。「シティズンシップ」の概念が拡大されすぎているので、焦点がぼやけている。また、ブルーベイカーの議論を「ドイツの特殊な道」論と同列に扱ってしまっているのも気になった。

Cynthia Miller-Idriss, Blood and Culture: Youth, Right-Wing Extremism, and National Belonging in Contemporary Germany. Duke University Press, 2009
ベルリンの三つの職業学校(Realschule, HochSchule, 少数だがGymnasiumを終えた二十歳前後の若者が学ぶ)の生徒と教師を対象にしたフィールドワーク(個別のインタビューと政治教育の授業の参与観察が中心)をもとに、ドイツのネーション理解について分析した興味深い著作。ブルーベイカー的な「認知的」なアプローチが用いられていて、ネーション理解が多様かつ変化するダイナミックなものであるという枠組みが前提にされている。そして、「68年世代」に発する「アンチナショナル」なネーション理解(ナショナルなものを「極右的」なものと同一視する)と、学生たちのそのような「優勢」なネーション理解への反発との差異が明確にされている。若者たちのあいだには、ナショナルな帰属意識や「誇り」をタブー視する年長者に反発し、「国民的誇り」を許容し、むしろ積極的にとらえる傾向が広まっている。また、「国民的誇り」を極右と同一視してタブー化する大人世代のネーション理解が、かえって若者にとっての極右の「魅力」を高める結果になっているとされる(「タブー破り」の魅力である)。また、一般のステレオタイプ化された「エスニック」なドイツ人理解は一部の「極右的」若者を除けばほとんどなく、2000年以後の「出生地原理」に即した「文化的」なドイツ人理解(出自が違っても同化可能で「ふるまい方」が重要))が若者世代にも広く受け入れられているkとを明らかにしている。私の実感から言っても、著者の研究結果は妥当なものと思われる。

Mark Hewitson, Nationalism in Germany, 1848-1866: Revolutionary Nation, Palgrave, 2010
1871年のドイツの国民的統一を、ビスマルクの政治的手腕とプロイセンンの軍事力による「上からの革命」ととらえる従来の史観に真っ向から挑戦した著作。1848年の革命から1860年代に至るまでの期間に着目し、公共圏や政党の果たした役割、自由主義とナショナリズムの関係性が考察される。「私の意図は、革命の国民的遺産を再評価して、それをドイツの最初の統一として扱い、革命の終結から「統一戦争」の間の「失われた」15年の政治に対して革命がもたらした作用について考察し、普墺戦争後の第二の統一以前の政治政党のプログラムと国民的観念の絡み合いを解析することを試みることである」(pp.22-23)。ここで興味深いのは、これまで「失敗した革命」とされていた1848年のドイツ革命を「第一のドイツ統一」とみなしていることである。確かに1848年の革命は、フランクフルトの国民議会においてオーストリアを除外した「小ドイツ主義」の「ドイツ帝国」の憲法を起草し、プロイセンを「ドイツ皇帝」として迎えることを決定した。プロイセンの国王がこれを拒否して「失敗」に終わるが、著者はこれをドイツの「第一の統一」と捉えるのである。確かにここで提示された「ドイツ帝国」の形は、ビスマルクによるドイツ統一を先取りしたものである。公共圏と自由主義運動がドイツの国民的統一運動を支えたという議論は、私も博士論文で試みたものである。しかしこの著作は、オーストリアを含めたドイツ各地でのナショナリズムを包括的にとらえた画期的な著作である。

●Sebastian Conrad, Globalization and the Nation in Imperial Germany. Cambridge University Press, 2010
世界各地に広がる在外ドイツ人とのかかわりから帝政ドイツ期のナショナリズムを分析したもの。新鮮な視点である。

Annemarie H. Sammartino,The Impossible Border: Germany and the East, 1914-1922. Cornell University Press, 2010
第一次大戦後の領土の変更とそれによってもたらされた移住者について、「境界の不可能性(不確定性)」という観点から論じた著作。喪失した領土に居住していた旧ドイツ国籍やロシア・バルト地方にんでいた「外国籍の民族的ドイツ人」はよく知れらているが(私もそれに関心を持ってこの本を読んだが)、戦争末期の義勇軍平易の移住や社会主義者の東方移住、ロシア革命がもたらしたロシア人難民、また当方からのユダヤ人移民など多様な移住者が検討されている。なかなか新鮮な視点で感心した。

Ruth Wittenger, German National Identity in the Twenty-First Century: A different Republic After All?. Palgrave, 2010.
1999年に首都がベルリンに移って以後の「ベルリン共和国」におけるドイツの「ナショナル・アイデンティティ」について論じた本。ナチスの過去を踏まえながらも、ヨーロッパや世界での積極的な国際的役割を担うようになり、「通常の国」に近づいていく過程を「ナショナル・アイデンティティ」に注目しながら議論している。政府の外交政策に「ナショナル・アイデンティティ」を見出そうという方法(国際政治学の研究ではしばしばみられるものだが)には、社会学者から見て少し疑問を感じるところである。

Eunike Piwoni, Nationale Identität im Wandel. Deutscher Intellektuellen-Diskurs zwischen Tradition und Weltkultur. Springer VS, 2011.
1980年代以降のドイツ連邦共和国の知識人たちによるナショナル・アイデンティティのディスコース分析。Schwab-Trappのディスコース概念を用いる。題材はドイツ史に詳しい人にはお馴染みのものがほとんどどが、これを正面からあつかったものはあまりない。方法論的にも洗練されている秀作。著者はバンベルク大学でリヒャルト・ミュンヒの弟子で、本書には師の序文もついている。私がコンスタンツ滞在中、コンスタンツ大学のマスタークラスにも参加していた。

Jost Hermand, Verlorene Illusionen. Eine Geschichte des deutschen Nationalismus. Böhlau Verlag, 2012
中世から21世紀にいたるまでの、「ネーションの観念(Nationalgedanke)」の歴史。政治より、文化・表象の分析である。カラフルなイラストが沢山掲載されている。最近のザラツィン論争やユーロ危機についてもふれられている。

Peter Reichel, Glanz und Elend deutscher Selbstdarstellung. Nationalsymbole in Reich und Republik, Wallstein Verlag, 2012
国旗、帝国議会などドイツのナショナル・シンボルにみる「自己記述」の検討。

Winson Chu, The German Minority in Interwar Poland, Cambridge University Press, 2012
戦間期ポーランドのドイツ人マイノリティのナショナリズムを分析したもの。ドイツ人マイノリティを一つの統一された集団と捉える「民族集団パラダイム」からの脱却をめざし,ドイツ人マイノリティ内での地域的差異(特に旧ドイツ領,オーストリア領,ロシア領など)や政治的・イデオロギー的な差異による対立・分裂,ドイツ人マイノリティは単にポーランドの「脱ドイツ化政策」に対抗していただけでなく,ポーランドの議会に進出するなどしてポーランド国家の安定に寄与する面もあったなど,新たな発見が多い。ナショナリズム研究における当事者的観点からの「デタッチメント(隔絶=中立性)」の重要性を主張している。

Erin R. Hochman, Imaging a Greater Germany: Republican Nationalism and the Idea of Anschluss. Cornell University Press, 2016.
戦間期におけるドイツとオーストリアの「合併」運動を扱った本。「大ドイツ主義」的な合併運動は,反ユダヤ主義,反ボリシェヴィズム,反民主主義,反ヴァイマル共和政と結びついた右翼運動(ナチスもその一部だったが)と結びつけて捉えられがちだが,実はヴァイマル共和政支持派の共和主義者によっても熱心に追求されていた。この本は,共和主義者による「合併」運動を中心に論じている。「大ドイツナショナリズムは,統一ドイツを創ろうとしたまさに最初の運動に中に根付いていた。1848年のドイツ革命では,フランクフルト議会に選出された代議士たちは,議会政府をともなった大ドイツを創ろう望んでいたのだが,戦間機の共和主義者はそれをかえりみて,ドイツの歴史には民主的な伝統が存在したのだと論じた。」軍国主義的な方法でなく平和な方法で,国際連盟の承認を得ながら「合併」を実現するというのが,共和主義者の目指すものだった。

Cynthia Miller-Idriss. The Extreme Gone Mainstream: Commercialization and Far Right Youth Culture in Germany. Princeton University Pres, 2017.
極右の若者の服装やアクセサリーなどで使われているロゴやシンボルを分析した研究。当事者がそれをどう理解しているのか、また企業がそれをどう工夫して売り物にしているのかを詳しく描いている。ドイツではナチスのシンボルが法律で禁じられているが、法律に触れないが見る人が見れば明らかに極右を連想させるシンボルが巧妙に使われ、そのロゴや図像が使われている服装を着用することが仲間としての連帯感を生み出し、また主流社会への抵抗を表現するシンボルとなる。アレクサンダーの文化社会学や「日常のナショナリズム」論の枠組みが用いられていて、社会学的なナショナリズム論としての面白さもある。しかしなにより、豊富な極右のロゴとシンボルについて知ることができる。「ノルディック」なシンボルは主流社会の商品とも連続していて、明らかに「極右」と区別しにくい部分もある。Theo Steinarは極右のブランドとして有名だが、よく見なければそれがなぜ極右とのつながりがあるのかはよくわからない。ちなみに私は、Thor SteinarのTシャツを一枚もっているが("SS"が隠されているもっとも古典的なロゴのついたやつ)、クォリティは結構よい。

●Andreas Fahrmeir, Die Deutshen und ihre Nation: Geschichte einer Idee. Reclam. 2017.
国籍・シティズンシップの歴史を専門とする著者による「ネーション」の観念史。国家と「ネーション」を別次元の現象とみる視点が貫かれている点は好感が持てる。比較的小さな本だが、近年の研究成果を受けたいくつかの興味深い指摘が全編にちりばめられている。

●Ferdinand Weber, Staatsangehörigkeit und Status. Mohr Siebeck, 2019.
法学者によるドイツ国籍に関する研究。

●Helmut Walser Smith, Germany, A Nation in Its Time: Before, During, and After Nationalism, 1500-2000, Limright Publishing, 2020.
「ドイツの二次元的把握」が始まった人文主義期(1500年前後)から現在までの「ネーション」の観念の歴史を追った500頁近い大著。文化史中心だが、30年近い前のオット・ダンの著作と並べられる名作だと思う。ボリュームはあるが、格調高い文章で分かりやすくドイツの歴史が展望できる。ただ、ヴァイマル期までは確かに「ネーション」概念の歴史だったものの、ナチス期に入るとジェノサイドの歴史が中心になってしまい、本筋からそれた感もある。とはいえ、その部分も(歴史の中身はグロテスクで悲惨だが)面白く読める。、


●伊藤定良 『ドイツの長い一九世紀 ドイツ人・ポーランド人・ユダヤ人』(青木書店、2002)
ヘルダー、フィヒテから第二帝政期までの一九世紀ドイツのナショナリズムを、ポーランド人やユダヤ人といった「周辺」部からの視点でまとめた書。様々な事例を紹介しながら、ドイツのナショナリズムの諸相を分析している。

●大原まゆみ『ドイツの国民記念碑 1813‐1913年 解放戦争からドイツ帝国の終焉まで(東信堂、2003)
写真が豊富に掲載されていて、とてもわかりやすい国民記念碑の解説書。

●佐藤成基『ナショナル・アイデンティティと領土――戦後ドイツ東方国境をめぐる論争』(新曜社、2008)
拙著。東方領土の喪失が連邦共和国内でどのように論じられてきたのかを、ナショナル・アイデンティティの変化という点に着目しながら分析したもの。(東方領土と追放をめぐる最近の研究をこちらにまとめました。)

吉田寛『ヴァーグナーの「ドイツ」 ――超政治とナショナル・アイデンティティのゆくえ』(青弓社、2009)
ヴァーグナーの活動を軸に、19世紀ドイツのナショナル・アイデンティティの変容について分析した力作。興味深いがまだ熟読していない。

小原淳『フォルクと帝国建設-19世紀ドイツにおけるトゥルネン運動の史的考察』(彩流社、2011)
 「トゥルネン」とは体操・身体訓練を行う団体。ヤーンという人物がナポレオン支配の時代に始めたもので、ドイツの「フェルキッシュ」(民族至上主義的)運動の源泉のひとつとして有名なもの。これを扱った貴重な研究。

●松本彰『記念碑に刻まれたドイツ 戦争・革命・統一』(東京大学出版会、2013)
 「ドイツには、大都市の中心に、村のはずれに、または小高い丘の上に、異常とも思えるほどの多くの記念碑がある」という書き出しで始まる。確かにその通り。ドイツにおける記念碑の多さには驚かされるが、この書はそのような数多くの記念碑に刻まれた歴史の記憶を解読したもの。多数の写真が(カラーも白黒も)掲載され、ドイツの記念碑が一望できる。非常によく作りこまれた本で、参考文献も適切なものが引用されている。また、終章であつかわれているドイツとデンマークの国境記念碑の考察も興味深い。全体として一つの議論の「ストーリー」が展開される本ではないが、堅実で目配りのいいものになっている。

伊藤定良『近代ドイツの歴史とナショナリズム・マイノリティ』(有志舎、2017)
2002年の著作『ドイツの長い一九世紀』を改訂し、第一次大戦開始から第二次大戦終結(「追放」を含む)までの期間を追加したもので、19世紀から20世紀前半までのドイツのナショナリズムの歴史を、ポーランド人、ユダヤ人、シンティ・ロマなどのマイノリティに注目しながら論述したもの。「ナショナリズム・マイノリティ」というややこなれの悪い日本語のタイトルは、そのことを表したものだろう。第一大戦以前の記述では、2002年の著作よりもドイツのナショナリズムに重点が置かれていて(2002年の著作にはポーランドのナショナリズムにもっとスペースが割かれていた)、右翼の大衆ナショナリズムや国民的記念碑の記述が豊かになっている。第一次大戦以後は、「1914年の精神」や戦間期の民族マイノリティ問題、ナチス期のシンティ・ロマについての記述はとても勉強になった。全体として平易でわかりやすく、ドイツのナショナリズムの歴史を学びたい者には、オットー・ダンの著作と並んで「必読」といえるだろう。
  一つ気になった箇所。1913年の国籍法が「「市民権を「血統共同体」として定義し、「在外ドイツ人」に開かれ」と、戦後の西ドイツのように国籍を持たない在外ドイツ人にも国籍を付与するかに思わせる記述があり、ロジャース・ブルーベイカーの著作が参照されているが(121頁)、これは誤解を招く。1913年の国籍法は、決して在外ドイツ人に国籍を「開いた」ものではない。西ドイツの国籍政策は、基本法と被追放者法という第二次大戦後の法体制によって可能になったものである。。

●高橋秀寿『時間/空間の戦後ドイツ史 いかに「ひとつの国民」は形成されたのか』(ミネルヴァ書房、2018年)
1970年代前半までの西ドイツでの国民形成史を時間・空間概念の変化からたどった研究。流行歌や映画などの文化的素材を用いたもので、著者らしい「遊び心」も感じられる興味深い研究である。ハイマート的時間/空間概念に基づく犠牲者共同体」として立ち上げられた1950年の国民モデルから、「都会性」を基軸に据えた未来志向の「革新主義的」な国民モデルが生まれ、過去志向の「保守主義的」な国民モデルと「日々の国民闘争」を展開する1960年代以降への変遷が説得的に論じられる。序章に論じられているアンダーソンの時空間の想像をめぐる「小説の構造」論の批判的発展は秀逸。これまで誰も指摘していなかった点だ。本文の歴史叙述の部分でもハイマート・ソングやロックン・ロール、若者現象としての「ハルプシュタルケ」など、私にはあまり馴染みがないものが取り上げられていて勉強になった。また1950年代までのロシア人観など、大変に興味深い。終章で拙著の枠組みについての批判的考察があるが、西ドイツの文化史を中心に扱った本書の視点からすれば当然の論点であり、また妥当であると思われた。

●今野元『ドイツ・ナショナリズム 「普遍」対「固有」の二千年史』(中公新書、2021年)
まさにドンピシャリなタイトル。同著者の『マックス・ヴェーバー ある西欧派ドイツ・ナショナリストの生涯』(2007年)が、ヴェーバーとドイツ・ナショナリズムとの関係に着目した優れたヴェーバーの人物史だったので期待して読んだのだが、残念ながら期待外れ・というのは、ドイツのナショナリズムの歴史というよりも、「普遍」対「固有」の両原理の対立からまとめたドイツ史の本だったからである。そもそもこの本のなかに「ナショナリズム」の定義も明らかにされていないので、論述がナショナリズムの歴史を超えてだいぶ広範囲にわたっている。ドイツ史の本として読むと面白いし、著者の視点も新鮮。特に歴史学をめぐる記からは学ぶことが多かった。しかし、題名が掲げるような「ドイツ・ナショナリズム」の本ではないというのが率直な感想。もちろん、ナショナリズムの定義に定まったものはないが、何をナショナリズムととらえるのかが、ナショナリズムを論じる際の重要な論点になるのだが、残念ながらこの本からはそういう点からのインスピレーションは得られなかった。


≪戦後ドイツの急進右翼("the radical right")についての著作≫

戦後(西)ドイツの急進右翼研究は2000年代までは「極右(Rechtsextremismus)」という概念によって行われていた。しかし2010年以後「右翼ポピュリズム(Rechtspopulismus)」や「新右翼(die Neue Rechte)」の研究が中心になっていく。対象もNPD(ドイツ国民民主党)やネオナチといった現象から,新右翼運動とその系譜,AfDなどとの関係へと変わっている。

「極右.」に関する研究
「極右」の研究はドイツ統一前後も極右の暴力事件やNPD,共和党などの右翼政党の台頭を受けて盛んになった。そのなかから以下のような研究がある。
Richard Stöss, Die Extreme Rechte in der Bundesrepublik. Entwicklung - Ursachen - Gegenmassnahmen. Westdeutscher Verlag 1989
第二次大戦後から1989年前半までの極右。NPDとREPが中心。

●Claus Leggewie, REP. Die Republikaner. Phantombild der neuen Rechten. Rotbuch, 1989

●Hans-Gerd Jaschke, Rechtsextremismus und Fremdenfeindlichkeit. Westdeutsche Verlag, 2001 2.Auflage.
初版は1994年に出版されている。第2版はデータを新しくしているだけで,特に大幅な書き換えはなされていないという。極右に関する一般的な研究の体裁をとり,分析的な論述になっているが,実質的にはドイツの事例が中心。新右翼の動向にも触れられていて,あつかっている範囲は広い。

●Armin Pfahl-Traughber, Rechtsextremismus in der Bundesrepublik. C.H.Beck,4.aktualisierte Auflage, 2006.
初版は1997年。おそらく最も簡潔に整理されていて,短く,読みやすい本である。

●Wilfried Schubart und Richard Stoßen (Hrsg.), Rechtsextremismus in der Bundesrepublik Deutschland. Eine Bilanz. Leske+Budrich, 2001.
複数の著者が分担執筆する論文集だが,「簡潔で分かりやすい」ものが目指されている。

●Richard Stöss, Rechtsextremismus im Wandel. Friedrich Ebert Stiftung 2007
NPD, REP, DVUのほかネオナチが扱われている。インターネットで入手可能。

●Gerard Braunthal, Right-Wing Extremism in Contemporary Germany. Palgrave Macmillan 2009

●Fabian Virchow, Martin Langebach und Alexander Häusler (Hrsg.) Handbuch Rechtsextremismus, Springer VS. 2016.
「極右主義のハンドブック」というタイトルだが、内容はドイツに関するものがほんとんどである。

●Matthias Quent, Deutschland rechts außen. Wie die Rechten nach der Macht greiffen und wie wir sie stoppen können. Pieper, 2019
.
若手社会学者の著作。従来のネオナチ、現在の新右翼やAfDをひとまとめに反民主主義的な「極右」として論じる論法はわかりやすいが、微妙な差異に関心のある読者には単純すぎる議論にも感じれられるかもしれない。しかし現在のドイツ政治の右傾化に関して極めて強い危機感を持っていることが伝わってくる。その理由がドイツ東部出身である著者の個人的な体験にあることが、序章に記されている。


「新右翼」に関する最近の研究
●Völker Weiß, Die autoritäre Revolte. Die Neue Rechte und der Untergang des Abendlandes. Klett-Cotta, 20117.
メラー・ファン・デン・ブルック,シュペングラー、シュミットといったヴァイマール時代の「保守革命」思想家,それを整理したアルミン・モーラーらの思想と現代の「新右翼」との思想的なつながりに重点が置かれ、その点に関してはよく整理され,目配りも広区、発見も多いが,その部分がやや拘り過ぎている気もする。邦訳あり。

●Thomas Wagner, Die Angst Macher. 1968 und die Neue Rechte. Aufbau, 2017.
1968年の急進左翼と新右翼との関連性に着目した議論で,クビチェク&コジッツァ夫妻を含む数多くの当事者とのインタビューを交える。全体の論述にはやや統一性を欠くが,中身は大変に面白く読める。特に1970年代に「国民革命派(Nationalrevolutinärer)でその後左派に転じたHenning Eichberg,学生時代の左派急進派からその後右翼に転じ,ペギーダにも参加したFrank Böckelmannについての議論,1989年生まれのアイデンティタリアン運動のリーダーMartin Sellnerとのインタビューは(意外と知的)とりわけ面白い。

●Samuel Salzborn, Angriff der Antidemokraten. Die völkische Rebellion der Neue Rechten. Beltz Juventa, 2017.
新右翼を「反民主主義」的ととらえ,徹底して批判的な観点から議論したもの。戦前の保守革命やカール・シュミット,「民族至上主義völkisch」イデオロギーとの連続性がテーマとなっている。わかりやすいが,やや一面的と言わざるを得ない。また新右翼とAfDとを同一に論じているところも気になる(確かに両者には関係性があるが)。

Christian Fuchs /Paul Middelhoff, Das Netzwerk der Neuen Rechten: Wer sie lenkt, wer sie finanziert und wie sie die Gesellschaft verändern. . Rowohlt, 2019
Die Zeitの記者による新右翼の整理。大変にわかりやす。


※なお,ドイツの「急進右翼(the radical right)」を帝政時代から2000年までを包括的に論じた大胆な著作としてLee McGowan, The Radical Right in Germany. 1870 to the Present. Routledge, 2014(初版は2002年)がある。帝政時代の全ドイツ連盟のような急進的ナショナリズムから戦間期の保守右翼や国民社会主義(ナチス),戦後の極右を一本の「系譜」として論じることには批判も寄せられるだろうが,意外にこのような整理がこれまだなかったことも否めない。(もし私が大学の授業で「ドイツの右翼」について講義しなければならないとすると,結局このような形になってしまうかもしれない。)
 


その他
●Rogers Brubaker, Margit Feischmidt, John Fox, and Liana Grancea, Nationalist Politics and Everyday Ethnicity in a Transylvanian Town, Princeton University Press, 2006
ブルーベイカーが弟子達とともに行なったトランシルバニアの都市クルージュにおけるハンガリー人とルーマニアのネーション(エスニシティ)の研究。前半はハンガリーとルーマニアとのあいだの民族対立の歴史社会学的考察、後半はクルージュにおける「日常のエスニシティ」の「認知的アプローチ」による考察。ネーション/エスニシティの社会学的研究の一つの模範的なスタイルを示している。(2018年度春学期の大学院の授業で講読する。)


[アメリカ]
●John Bodner, Remaking America, Public Memory, Commemoratoin, and Patriotism in the Twentieth Century America. Princeton University Press, 1993
邦訳あり。

●Michael Lind, The Next American Nation: The New Nationalism and teh Fourth American Revolution. The Free Press, 1995
Angle-America→Euro-America→Multicultrual America→Trans-Americaというアメリカ社会の展開を描き出しつつ、多文化主義を批判したアメリカ論。

●Gary Gerstle, American Crucible: Race and Nation in the Twentieth Century, Princeton University Press, 2001
シヴィック・ナショナリズムと人種的ナショナリズムの対立関係からアメリカ社会の自己理解の歴史をたどった名著。

●Anatol Lieven, America Right or Wrong: An Anatomy of American Nationalism. Oxfor University Press, 2004


●古谷旬『アメリカニズム――普遍国家のナショナリズム』(東京大学出版会、2002)

●大津留智恵子・大芝亮編『アメリカのナショナリズムの市民像――グローバル時代の視点から』(ミネルヴァ書房、2003)

●小林清一『アメリカン・ナショナリズムのナショナリズムの系譜――統合の見果てぬ夢』(昭和堂、2007)

●渡辺靖『白人ナショナリズム アメリカを揺るがす「文化的反動」』(中公新書、2020)
タイムリーな著作。白人ナショナリストののリーダーや白人ナショナリスト集団のメンバーへの直接のインタビューに基づいた分析。トランプ支持との関係にも触れられている。大変興味深かった。


[中東]


[アフリカ]

●川端正久、落合雄彦(編)『アフリカ国家を再考する』(晃洋書房、2006)
アフリカ研究は現在、国家論に関して大変に興味深い理論展開が見られる。本書はそれをよく示している。

●武内進一『現代アフリカの紛争と国家 ポストコロニアル家産制国家とルワンダ・ジェノサイド』(明石書店、2009)
「新家産制国家」概念を用いながらルワンダ・ジェノサイドのプロセスを詳細に論じた名著。


[アジア]

タイ
Thongchai Winichakul, Siam Mapped. University of Hawaii Press, 1994
邦訳あり(石井米雄訳、明石書店、2003)。邦題はトンチャイ・ウィニッチャクン『地図がつくったタイ 国民国家誕生の歴史』。アンダーソンが『想像の共同体』増補版の中で、この本が出版される以前の博士論文段階のものを引用し、かつ高く評価したことで知られている。地図作成から国民国家形成(特にその領土認識の)を分析したものであり、極めて興味深くまた説得力に富んだ名著である。日本ではあまり知られていないタイの国民国家形成(それはイギリス、フランスという二つの帝国主義国の植民地化との対峙のなかで進行するのだが)の内情もまた面白い。翻訳もわかりやすく、またタイ語への配慮も行き届いていてよい。


中国
●Presanjit Duara, Rescuing History from the Nation: Questioning Narratives of Modern China. University of Chicago Press, 1995.

●Yongnian Zheng, Discoovering Chinese Nationalism in China: Modernixation, Identity, and International Relations. Cambdiege University Press, 1995

●Suisheng Zhao, A Nation-State by Construction: Dynamics of Modern Chinese Nationalism. Stanford Uniersity Press, 2004

●王柯『多民族国家 中国』(岩波書店[新書]、2005)
中国の少数民族政策が概観されている。

小野寺史郎『中国ナショナリズム:民族と愛国の近現代史(岩波書店[新書]、2017)


韓国
(出版年順)
●木村幹『朝鮮/韓国ナショナリズムと「小国」意識――朝貢国から国民国家へ』(ミネルヴァ書房、2000)

●玄大松『領土ナショナリズムの誕生――「独島/竹島」問題の政治学』(ミネルヴァ書房、2006)
著者(ひょん・でそん)は韓国出身の政治学者。議論自体がナショナルな感情に支配されがちなこの問題に関し、できうる限り中立な立場から韓日比較を試みた画期的な書である。方法的にも手堅い。第一章は両国の主張を詳細に検討し、「独島/竹島」問題の発生と展開をを戦後韓日関係史と絡めながら丁寧に跡付ける。第二章は、韓日新聞報道の「ディスクール」における独島/竹島問題の表象を数量的に分析したもの。第三章は韓国学生における日本イメージと独島問題との関係をアンケート調査の結果をもとに分析する。もっとも興味深くまた成功しているのは第二章だろう。そこでこの問題をめぐる新聞報道の量と質における韓日の差が明確になっている。韓国の新聞においては自尊心・国民感情・名誉など感情的側面が強調され場合が多いのに対し、日本では経済的記事を強調する記事が多いという。さもありなん、という感じである。しかし本書の問題は、タイトルに示された問題に答えていないことだろう。なぜ「領土ナショナリズム」が「誕生」したのかが、明確に論じられていない。領土意識が「社会的に構築されたものであるとみなす社会構築主義の認識論的立場から」アプローチすると宣言されているのだが(11頁)、全体を通じて「独島・竹島の領土帰属は韓日両国にとって問題である」ということが最初から前提にされているように思える。「社会構築主義」の立場をとるのであれば、「なぜ独島/竹島が問題になるのか」という問題を、領土をめぐる政治地理学的空間認知の形成から問わなければならないのではないか。たとえばトンチャイ・ウィニッチャクンの『地図がつくったタイ』で行ったような考察である。そうでなければ、たとえば韓国においてなぜ独島が領土ナショナリズムのシンボル的存在になっているのかがよくわからない。

●木村幹『近代韓国のナショナリズム』(ナカニシヤ出版、2009)

●Gi-Wook Shin, Ethnic Nationalism in Korea: Genealogy, Politics, and Legacy. Stanford University Press, 2006.
朝鮮のナショナリズムの本格的研究。必読。著者のシン先生はスタンフォード大学の先生だが、その前ははUCLAで教えていた。私が博士論文を書いていたころ、、シン先生にはいろいろと話を聞いていただいた。「反日」でも「親日」でもない、ナショナリズムに関しては可能な限りニュートラルな立場をとろうとするシン先生とは、とても「波長」が合ったという印象を持っている。最初にお会いしたとき(確か1994年頃だったと思うが)、先生は私に「最近書いた論文だ」と言って私にコンピューターからプリントアウトしたばかりのペーパーを見せてもくれたことがあった。その最初の文章が "It is now well recognized that..."で始まり、細かい文言は覚えていないのだが「日本の植民地化がコリアの近代化の大きな要因の一つであったことは、今やよく認識されている」というような内容が書かれていたのである。日本で当時(おそらく今でも)こういうことを書けば「日本の植民地支配を正当化する発言」として批判されたであろうことは間違いない。しかしシン先生は「今やよく認識されていること」と、サラリと書いている。それを見て驚いている私のことを予想していたかのように、「韓国でもこういうことを書くと批判を受けるんだよ」とおしゃった。しかしアメリカのコリア研究では、もはやこれは「定説」になっているらしい。あらためて、韓国や日本で「コリア史」をやることのむずかしさを思ったものである。シン先生は韓国のヨンセイ大学を出てワシントン大学で学位をとっている。今やアメリカの社会学界におけるコリア研究の第一人者だろう。今後もますます活躍が期待される。


日本(沖縄を含む)

(著者五十音順、外国語文献は最後)


・通論・通史
●浅羽通明『ナショナリズム』(ちくま新書、2004)

●大澤真幸『近代日本のナショナリズム』(講談社、2011)
「「天皇の国民」から「国民の天皇」へ」という視点で、明治のナショナリズムから昭和のウルトラナショナリズムへの変化を論じた興味深い論考がふくまれている。この視点から、さらなる日本のナショナリズム研究を展開させていくことが可能jだろう。

岡本雅享『民族の創出 まつろわぬ人々隠された多様性』(岩波書店、2014年)
日本の内部の多様性という観点から「同質社会幻想」を覆そうとしたもの。日本社会は「古代から続く多様な固有の歴史を持つ諸民族の連合体である」というのが、本書の主張。

●子安宣邦『日本ナショナリズムの解読』(白澤社、2007)
「本居宣長から橘樸まで」を謳い文句にした思想史の書。

●坂本多加雄『象徴天皇制度と日本の来歴』(都市出版、1995年)
国民意識の根底にあるのは国民の来歴についての「われわれの物語」であるという議論から出発し、現実の日本の歴史に基づいた国民の物語を探求したもの。

●鈴木貞美『日本の文化ナショナリズム』(平凡社新書、2005)
日本の「文化ナショナリズム」について、情報盛りだくさんの本。ここでとりあげられている題材を個別にとりあげても、面白い研究が成り立つかもしれない。

名嘉憲夫『領土問題から「国境画定問題」へ 紛争解決論の視点から考える尖閣・竹島・北方四島』(明石書店、2013年)
「固有の領土とは何か」という領土本質論を脱し、「国境はどのように画定されたのか」という問題を紛争解決論の視点から分析したもの。ようやく社会科学的にまっとうな領土論が現れた。必読。

船曳建夫『「日本人論」再考』(講談社、2010)
原著は2003年NHK出版。NHK教育テレビ「人間講座」のテキストを元にしている。船曳先生は東大教養学部の人類学者。私は大学1年生の時、先生の授業とゼミをとったことがある。肩の力の抜けたキャラクターは、この本にも反映されている。内容は、日本人論として比較的よく知られているものと、それほどでもないものを組み合わせながら、ユニークな視点から「日本人論」を論じている。

松本健一『日本のナショナリズム』(ちくま新書、2010)
中堅の民主党議員に講義したものだという。そのためだろうか、歴史から「教訓」を引き出そうという、講談調の赴きあり(例えば、大隈重信と小泉純一郎を比較しつつ「ポピュリズム」を批判したり)。読み物としては面白いのだが、「専門的」観点から学術的に読んでしまう私にとっては物足りなさが残る。やはりこの著者に関しては、一連の北一輝研究が圧倒的である。

●与那覇潤『日本人はなぜ存在するのか』(集英社、2013)
教養科目の講義を書籍化したとのことだが、大変に才気のみなぎる本である。一見カルスタ的構築主義のように見えながら、決してそうではない。「再起性」というギデンズの概念を用いることにより、単なるカルスタ的なものを超えた経験的重みをもつ研究になっている。文化人類学や歴史学、メディア研究への言及の仕方もなかなか意外性があって新鮮。とても勉強になった。(2014年度のゼミでテキストとして使用する。)

渡辺裕『歌う国民 唱歌、校歌、うたごえ』(中公新書、2010)
学校で歌われる唱歌、校歌、県歌、労働者歌、そして戦後の「うたごえ運動」を論じながら、「うた(歌」が様々な立場から「国民づくり」のツールとして使われてきた経緯が明らかにされている。「歌と国民」という問題に、近年のナショナリズム研究の視点から新しい問題系を発掘した画期的著作である。(「歌と国民」に関するその他の文献についてはこちらを参照せよ。)



●Kevin Doak, A History of Nationalism in Modern Japan: Placing the People. Leiden and Boston: Brill, 2007.
小泉純一郎の靖国参拝を支持する論説を『産経新聞』に掲載して以来、なんだか『産経』ご用達の「変わったアメリカ人学者」のイメージが付いてしまったドークだが、シカゴ大学でポスト構造主義の左派系日本史研究者ハリー・ハルトゥーニアンに学び、日本史に関する詳細でかつ幅広い知識をもち、ナショナリズム理論の最前線にも熟知した研究者であることを忘れてはならない。邦訳はあるが(PHP研究所)、これがひどい。果たして「翻訳」といえるのか。「悪訳」などという閾を越えている。注や参照文献がすべて省略されているのはまだ許容範囲だが、何のことわりもなく文章がかなりの範囲にわたって省略され、訳文も専門的・理論的な部分で誤訳が散見される。さらに問題は、訳者の解釈によって文章が「意訳」されている部分があり、さらに勝手に訳者自身の文章が付け加えられているところも少なくない。しかもタイトルは『大声で歌え「君が代」を』という誤解を招きやすいタイトルに変えられている。(ドークは「君が代を大声で歌え」などとは、どこでも言っていない。)その結果、ドークの洗練された議論が伝えられていないばかりでなく、一定の政治的意図に向けて大きく歪曲されている。本書に取り組もうという人は、迷わず原著を読むべきである。そこでわれわれが考えるべきなのは、日本のイデオロギー対立から自由で、またアカデミックに洗練されたドークのような研究者が、なにゆえに小泉の靖国参拝を支持したり、安倍晋三の『美しい国へ』を評価するようなスタンスに進んでいるのか、ということである。

●Kristin Surak, Making Tea, Making Japan: Cultural Nationalism in Practice. Stanford University Press, 2013.
「茶道」が日本のナショナル・アイデンティティに結びついていく過程を分析した研究。いっけんベタな文化論に聞こえるかもしれないが、理論的にとても洗練された文化ナショナリズム研究である。著者のスラクさんはUCLAでロジャーズ・ブルーベーカーの指導を受けた人。つまり私の「後輩」にあたる。日本語は上手。今はなぜかドイツのドゥイスブルク=エッセン大学の教授。ただし英語で授業を教えているそうである。
[追記]本書が2018年4月に邦訳された! 出版社は「さいはて社」という2017年にできた新しい出版社で、廣田吉崇さんという方が監修をしている。タイトルが『MTMJ:日本らしさと茶道』というちょっと変なもの。「MTMJ」というのは"making tea, making Japan"の頭文字らしい。帯の広告文句に「外国人のお弟子さんはこう見た」とある。というように装丁は〝?”だが、翻訳は(多分著者の目も入っているのだろう)学術的にきちんとしている。

Kosaku Yoshino, Cultural Nationalism in Contemporary Japan. A Sociological Enquiry. Routledge. 1992.
1970年代に流行った「日本人論」を「文化ナショナリズム」ととらえ、社会学的な方法で分析したもの。理論的なパートと実証的なパートからなるが、やはり面白いのは実証的なパートの方である。教員と「ビジネスマン」に日本人論について尋ね、特にビジネスマンがビジネス的な関心から日本人論を「消費」していると論じる。



・明治以前
●芳賀登『国家概念の歴史的変遷』(Ⅰ「国家概念と古代国家」、Ⅱ「中世国家と近世国家」、Ⅲ「明治国家の形成」)(雄山閣、1987)
題名の通り、古代から明治までの国家概念の歴史的変遷をたどったもの。三巻本。繰り返しが多く、体系的見通しには欠けているが、引用されている資料が豊富で、大変に役に立つ。

●丸山真男『日本政治思想史研究』(東京大学出版会)
名著。1944年軍入隊の直前に書いたといわれる第三章「国民主義の「前期的」形成」が重要。ここで国防論が論じられている。丸山はこの後、日本の「国民主義」の発展の経緯を辿ろうとしたのだろうか。だが、この論文の続編はまとまったかたちでは出されなかった。

Harry D. Harootunian, Things Seen and Unseen: Discourse and Ideology in Tokugawa Nativism. Chicago: University of Chicago Press, 1988
ポスト構造主義のターミノロジーで書かれた、国学研究。アメリカ留学時代のこの本を読み、国学が決して、本居宣長や平田篤胤だけにかぎられるものではないことを知らされたものだった。面白いが、全体の議論のまとまりが悪い上(しかも長い)、解釈が強引だったり、訳語が間違っていたりなど、批判も受けているようである。

Bob Tadashi Wakabayashi, Anti-Foreignism and Western Learning in Early-Modern Japan. Cambridge: Harvard University Press, 1986.
西洋諸国からの脅威にさらされるようになった18世紀末以後の江戸幕府の対外政策や様々な対外脅威論を論じた書。特に会沢正志斎『新論』の分析が面白い。しかも英語の全訳つき。


・明治・大正
●イ・ヨンスク『「国語」という思想 -近代日本の言語認識』(岩波書店、1996)

森有礼から保科孝一にいたる、戦前の国語政策における国語認識を論じた本。われわれが使っている「国語」が、いかに「あたりまえのものでない」のかがよくわかる名著。今読んでも面白い。1990年に『思想』に掲載されたこの本の序章を、たまたま学生時代に読んだ私は、そこで森有礼の主張した英語公用語論を始めて知り、大変に驚いたものだった。

●伊藤幹治『柳田国男と文化ナショナリズム』(岩波書店、2002)
『民間伝承論』(1934)で提唱された、柳田の「一国民俗学」を「文化ナショナリズム」という観点で論じたもの。日本の人類学者・民族学者の名前が多く登場し、ゲルナー、スミスを初めとする欧米のナショナリズム研究者にも多数言及されるが、「一国民俗学」がはたしてどのようなものだったのか、いっこうに明解にはならなかった。私はかねがね、山人・漂白民など「マイノリティ」に着目していた柳田が、日本の「マジョリティ」である一般の農耕民に興味の対象を移し、単一民族論的自国理解へと移行していったことに関心を持っているのだが、この本からは単に「危機意識」ということ以上のことは得られなかった。


奥武則『大衆新聞と国民国家』(平凡社選書)

●小熊英二『単一民族神話の起源』(新曜社)

●同 『<日本人>の境界』(新曜社)

全体として引用が長いので本自体も長大なものになっているが、やはり名著。むしろこれまで、この手の研究が全くといっていいほどなされてこなかったことが、今となっては不思議なくらいである。戦後の「単一民族国家」概念がいかに強力であったのかが伺える。小熊の研究は、「戦前」や「戦中」に対する我々の新たな視野を開拓した。

●長志珠絵『近代日本と国語ナショナリズム』(吉川弘文館、1998)

●小林和幸『「国民主義」の時代 明治に本を支えた人々』(角川選書、2017)
明治期に「国民」を重視し、専制政治の立憲民主化を求めた政治勢力を「国民主義」と名づけ、その系譜をたどった研究。それはいわゆる「民権派」とも「保守派(守旧派)」とも異なる第三の勢力であったという。佐々木高行、谷干城、鳥尾小弥太、陸羯南ら。「政治運動に際して、国民の実情を注視し、国民の利益を守ろうとするところから連携が始まり、国民の賛同という国民の意思によって課題を達成しようというもの」がこの「国民主義」である。現代風に言うと「国民ファースト」で藩閥政治・専制政治に対峙した人たちとでもいえようか。この流れは日露戦争後の「国民主義的対外硬」(宮地正人)につながっていく。個々には名前がそれなりにしられた政治家だが、これまで位置づけのはっきりしなかった勢力の「流れ」を明確にした研究として価値がある。

●坂本多加雄日本は自らの来歴を語りうるか』(筑摩書房、1994)

●佐谷眞木人『日清戦争 「国民」の誕生』(講談社新書、2009)
「日清戦争が「国民」を生んだ」という著者の主張には、基本的に賛成である。その様態を著者は民衆史的方法によって明らかにしている。

●鈴木健二『ナショナリズムとメディア--日本近代化過程における新聞の功罪』(岩波書店)

●副田義也『教育勅語の社会史』(有信堂)
マルクス主義「講座派」的視点から、国民の「臣民化」教育の道具として語られがちだった教育勅語を、その「近代的」な側面にも注目しつつ、日本の国民形成にどういう役割を果たしていたのかを分析した著作。時代を追って教育勅語の意味の変遷を追う。イデオロギー的臭さが皆無であり、論述は明解でわかりやすい。著者の副田氏は、このほかにも『内務省の社会史』を書いているが、氏の「社会史」のスタイルを、私も「歴史社会学」の一つのモデルにしている。

●多木浩二『天皇の肖像』(岩波書店、1988)
天皇の肖像画がつくられていく政治力学的過程を詳細に分析したもの。まだ、日本でナショナリズム研究が盛んになる以前に書かれた草分け的著作である。私(=佐藤)がナショナリズムに関心をもつきっかけの一つとなったのが、この本であった。

●西川長夫・松宮秀治編『幕末・明治期の国民形成と文化変容』(新曜社)

●西川長夫・渡辺公三編『国際秩序と国民文化の形成』(柏書房)

●橋川文三「ナショナリズム-その神話と論理」『橋川文三著作集〈9〉』(筑摩書房)
最近見直されている橋川の研究。歴史学的ないし社会学的に見ると、彼の有名な昭和ナショナリズム研究よりも質が高いのではないだろうか。

●福間良明『辺境に映る日本』(柏書房)

●タカシ・フジタニ『天皇のページェント』(NHKブックス、1994)
フーコー的枠組みを用いて近代日本のナショナリズムの形成について論じている。明治期日本の政治エリートのつくりだした天皇をめるぐ様々な国家儀礼の演出の技法が、民衆を国民へと転換していったという論。しかし民衆が、これほどにも、いとも簡単に国民へと「規律・訓練」されていくものなのか、と首を傾げたくなる。「複雑に入り組んだ天皇のイメージが巧妙に操られることで、君主制的権力と規律・訓練の権力との融合という、この逆説的とも言える効果が生じたということである。」「権力はいまも、毛細血管の隅々にいたるまでを規律・訓練化することで、すべての社会的身体に浸透し続けている。」などなど。まるで権力万能、民衆不在の国民国家論と言わざるを得ない。が、かつてはこのような「国民国家論」がもてはやされた時代もあったのだ。そのことを今に伝えている「フォークロリック」な書。

●藤田省三『天皇制国家の支配原理』(未来社)
名著として有名。しかしかなり難解。「真実は細部に宿る」ではないが、細かいところに色々と興味深い示唆のある本。

●牧原憲夫『客分と国民のあいだ -近代民衆の政治意識』(吉川弘文館、1998)
近代日本の国民国家形成を「客分」意識と「国民」意識の多様なせめぎあいの過程として描き出した名著。歴史学者による書だが、自力で発掘した史料にこだわる「実証史学」の限界を大きく超え、一次資料と種々の既存文献が目配りよく利用され、大変に面白く、かつ説得力のある議論が展開されている。治者の「仁政」を期待する「客分」としての民衆が、民権家の演説会での野次や、憲法祭や戦争の壮行会・祝勝会での「万歳」などを通じて、「身体のレベルから国民意識を構築する」過程、また劣位の者が上昇の可能性を求めて「国民」意識を自発的に内面化していくからくりなどが論じられていて、その分析は、従来の「イデオロギー批判」的国民国家論から一線を画している。ただ、記述の中心は明治時代であり(米騒動や普通選挙のことについても若干ふれられてはいるが)、大正以後のさらなる国民意識の再生産の過程についても知りたくなるところだ。だが、これを単独の著者に求めてしまうのは酷というものだろう。今後のナショナリズム研究の課題だ。ここ20年くらい、日本の国民国家形成について多くの人たちが関心をもち、言及しているにもかかわらず、これを社会史的に正面からがっちりと扱った著作は意外に少ない。その点、この著作は大変に貴重である。


●松澤俊二『「よむ」ことの近代 -和歌・短歌の政治学』(青弓社、2014)
今でも毎年「歌会」が行われていることからもわかるとおり、和歌は天皇と「臣民」とをつなぐコミュニケーションのツールでもある。この本は、明治以後の「近代」において、和歌が国民形成とどのような関係にあったのかを論じた研究書。、これまでも様々なところで言及されてきた問題に焦点を当てた本格的研究として貴重。

●宮地正人『日露戦後政治史の研究』(東京大学出版会)
「内に立憲主義、外に帝国主義」をかかげた「国民主義的対外硬」運動についての論考が含まれている。個人的には大変に好きな本である。

●村井紀『南方イデオロギーの発生』(福武書店、1992。その後大田出版から再版)
朝鮮、満州、北海道などの「北」の植民地を切り捨て、「南」の沖縄に「原日本」を求める柳田国男の「日本民族学」(これを村井は「南島イデオロギー」と呼ぶ)の発生を論じた書。議論はさらに、折口信夫や日本の人類学者たち、さらに60年代の吉本隆明や島尾敏雄などの南島論にまで及ぶ。民俗学の日本論に植民地主義という視点を取り込んだ、大変にスリリングで想像力豊かな議論。今読んでも、十分に面白い。例えば読者は、柳田国男が日韓併合に関わった農政官僚でもあった事実に気づかされるだろう。満州生まれ、、北海道の女子大で長らく教えていたことのある村井の個人的経験が、このような「周辺から」の視点を可能にしたのだろう。しかし、柳田の民俗学を「植民地の隠蔽」という一点からぐいぐいと押し通す村井の論述は、かなりアクロバティックでもあり、その「実証性」を問われる部分も少なくない。柳田の南島への「転向」や「一国民俗学」の提唱が、本当に「植民地主義の隠蔽」の「イデオロギー」といえるのかどうか、もはや「実証」を超えた問題かもしれない。なお、私(=佐藤)はかつてのアメリカ留学時代、客員教授であった村井先生のゼミでこの本を読んだことがあった。その意味で、思い出深い本である。(1990年代、2000年代の新しい論文を含んだ『新版南島イデオロギーの発生 柳田国男と植民地主義』が岩波現代文庫から出版されている。)

●安丸良夫『近代天皇像の形成』(岩波書店、1992)

●李孝徳『表象空間の近代』(新曜社、1996)


●Carol Gluck,Japan's Modern Myths: Ideology in the Late Meiji Period. Princeton: Princeton University Press, 1987
いわゆる「天皇制イデオロギー」論を“monolithic(単一的)”であると批判し、明治の日本には様々な「神話」が生まれ、鬩ぎあっていたという視点から、明治期日本の「イデオロギー」を分析した本。必ずしも「天皇」や「国民」「臣民」をめぐるイデオロギーだけでなく、「自由」「自治」といった概念もとりあげられる。私はアメリカ留学時代、たまたまとった日本史のセミナーでこの本を読み、アメリカでの日本史研究の面白さを始めて知り、また日本のナショナリズム研究への新たな視点を感じ取ることができた。その意味で、個人的に大変貴重な本だと考えている。


・昭和期・戦時体制期
●安部博純『日本ファシズム研究序説』(未来社)

●雨宮昭一『総力戦体制と地域自治』(青木書店)

●井上寿一『戦前昭和の国家構想』(講談社メチエ、2012)
男子普通選挙が導入されて以後の昭和期の政治を社会主義、議会主義、農本主義、国家社会主義という四つの国家像の攻防として描き出している。しかし四つの国家構想は、1941年に日米戦争が始まることにはすべて挫折していた。そのときの「日本に何らかの体制が成立したとすれば、それは戦時体制と呼ぶ以外にはなかった」。しかし敗戦によって実際に国家が破綻した後、これらの四つの国家像が再びよみがえってくると論じられる。全体がよくまとまっていて、昭和期の日本の国家構想をめぐる対立を理解するうえで大変に役立つ。

●植村和秀『「日本」への問いをめぐる闘争――京都学派と原理日本社』(柏書房)
西田幾多郎を中心とした京都学派、蓑田胸喜を中心とした原理日本社の言説を比較したもの。丸山・橋川以後、昭和のナショナリズムを本格的に論じたものが少ない中、貴重な研究である。今後、このような研究がさらに進められるべきであろう。

●片山杜秀『『近代日本の右翼思想』(講談社)
著者はむしろ音楽評論家として有名であるが、本業は政治思想史研究者のようである。あまり注目されることのない右翼思想家を取り上げていて興味深い。


●片山杜秀『未完のファシズム 「持たざる国」日本の運命』(新潮選書、2012)
 第一次世界大戦がヨーロッパにおける国家構造や国家像に大きな転換をもたらしたことはよく知られている。ヨーロッパ史において第一次大戦が「近代史」と「現代史」を分ける大きな分水嶺になっていることは間違いないだろう。では日本はどうだったのか。日本は確かに参戦はしているものの、戦争は遠くヨーロッパを主戦場にして行われたため、その「総力戦」を実質的に経験することはなかった。そのためだろう。これまでの日本史のなかで、第一次大戦がそれほど注目されることはなかった。しかし最近、そのような見方にも修正がくわえられつつあるようだ。片山氏の本書は、そのような視点を大胆に取り入れたものである。日本人、とくに軍人たちにとって、第一次大戦は戦争の戦い方、そして世界の中での日本の位置の理解に関し、大きな転換をもたらさざるを得なかった。それは、これからの総力戦の時代、経済的資源を「「持たざる国」である日本が、欧米諸国(特に大国である米ソ)と対等に渡り合うことができるのだろうかという問題が、日本人につきつけられることになった。特に戦争を任務とする軍人たちにとって、この課題は必ず直面する難問であった。圧倒的な資源の差を前にして「持たざる国」日本は米ソと戦っても勝ち目はないと宣言することはできないからである。この「ディレンマ」への解決として、二つの大きな方向性があった。一つは、端的に日本を「持つ国」へと変えていく、ないしは「持つ国」と対等な資源動員力を構築していくという方法である。もう一つは、精神主義によって相手に果敢な攻撃を加えるという「殲滅戦」の方法だった。後者の精神主義的方法は、実際には戦争しないという暗黙の前提を堅持する限り、軍隊の存在意義を維持できる合理的な解決法だった。戦前の軍隊における有名な「統制派」と「皇道派」の対立も、この「持たざる国」日本の軍隊が抱えるディレンマに由来するものである。本書は「皇道派」の側にいる軍人として小畑敏四郎と中柴末純、「統制派」の側として石原莞爾の思想的活動を考察してものである。(小畑と中柴はあまり名が知られていないが、ともに戦前戦中に多くの著作を残している。)結論として本書は、日本が戦争に失敗したのは、戦略がわるかったわけでもなく、また「ファシズム」に牛耳られたわけでもなく、資源の乏しい国(しかも、決して小国でもなくそこそこの規模はある国)が、身の丈をわきまえずに欧米と総力戦に突き進んでしまったことそれ自体にあるとする。
 全体が「です、ます」の丁寧語で書かれ、語り口の巧みさもあって一挙に読むことができてしまう。全体を貫く枠組みも極めて明快である。と同時に、戦前戦中の日本の日本がどのようなものであったのかについて、一つの鮮明な光を注いでくれる。丸山真男以来、日本の「ファシズム」につては多くが語られてきた。しかしその多くが、「民主主義」対「ファシズム」という図式にとらわてきたことは否定できない。今、再び日本の「ファシズム」について(その「失敗」について)問い直すべき時期だろう。それは昨今の国家機能の混迷(これを安易に戦争中の日本国家の混迷と並列させるつもりはないのだが)を考えるうえで、参考になるのではないか。

●佐々木浩雄『体操の日本近代:戦時期の集団体操と〈身体の国民化〉』(青弓社、2016年)
「身体の国民化」というジョージ・モッセ的問題を日本史のフィールドで解明したもの。1925年に始まった「ラジオ体操(「国民保健体操」)がこの分野では有名だが、ラジオ体操を含めた昭和初期(1930年代以降の戦時期)の集団体操運動全体を三つの時期区分ごとに論じている。現在における、この分野の代表的文献ということができる。

●信夫清三郎『聖断の歴史学』(勁草書房)

●竹内好「日本のアジア主義」(松本健一『「日本のアジア主義」精読』岩波書店)

●中野敏男『詩歌と戦争 白秋と民衆、総力戦への「道」』(NHKブックス、2012)
北原白秋を題材にしながら、童謡、民謡とナショナリズムの「本質化」について論じている。著者はヴェーバー研究から出発した社会思想の研究者だが、この著作は見事な歴史社会学的研究になっている。

●新倉貴仁『「能率」の共同体 近代日本のミドルクラスとナショナリズム』(岩波書店、2017)
第一次世界大戦後から1960年代にかけて展開された「「文化」のナショナリズム」を析出し、その誕生から消滅までを追った歴史社会学的研究。ポイントとなるのは、この「「文化」のナショナリズム」の概念である。なお、『大原社会問題研究所雑誌』にこの本のかなり長文の書評を寄稿した。

●橋川文三(筒井清忠編)『昭和ナショナリズムの諸相』(名古屋大学出版会)

●秦郁彦『軍ファシズム運動史』(原書房)

●保阪正康『ナショナリズムの昭和』(幻戯書房、2016)

●松沢哲成『日本ファシズムの対外侵略』(三一書房)

●丸山真男『日本政治の思想と行動』(未来社)
もちろん、いわずと知れた古典的名著。必読。また丸山の「知識人」的偏向に関しては吉本隆明の批判があり、また知識人論としても一面的であるという竹内洋の批判も、あわせて読む必要があるだろう。

山之内靖、V・コシュマン、成田龍一編『総力戦と現代化』(柏書房、1996)
いわゆる「総力戦体制」論を切り開いた画期的歴史書。

●吉見義明『草の根のファシズム』(東京大学出版会)

●ケネス・ルオフ『紀元二千六百年 消費と観光のナショナリズム』(木村剛久訳)(朝日新聞出版社、2010)
日米開戦前後の時期を「暗い時代」ととらえる従来の日本史研究の史観を覆し、1930年代を大衆消費社会の時代ととらえ、消費とナショナリズムの関係を論じた興味深い著作。「紀元二千六百年」の年の日本人の「フィーバー」ぶりが描かれる。(原著は読んでいない)


●Kevin Doak. Dreams of Difference: The Japan Romantic School and the Crisis of Modernity. Berkeley, CA: University of California Press, 1994.
アメリカの日本研究者による日本浪漫派の研究。邦訳あり。著者ドークには他に、戦前から戦後にかけての左翼思想家の「エスニック・ナショナリズム」研究や、戦中の民族学者・人類学者の研究など、興味深い論考(英語論文)もある。どれも、ナショナリズム=超国家主義という日本的ナショナリズム理解に亀裂をいれるものである。


・戦後・現代
●阿部潔『彷徨えるナショナリズム』(世界思想社)
メディア論的な視点から1990年代以降の日本のナショナリズムの「彷徨い」を論じたもの。メディアの表象分析に社会学の相互行為論の枠組みを持ちいる手法には違和感もある。書評を書いているので、そちらを参照

●井崎正敏『天皇と日本人の課題」(洋泉社)

●磯田光一『戦後史の空間』(新潮社)

●小熊英二『〈民主〉と〈愛国〉』(新曜社)

●小熊英二・上野陽子『〈癒し〉のナショナリズム ――草の根保守運動の実証研究』(慶応大学出版会、2003)

●小沢修太郎『脱「戦後日本」のナショナリズム -1990年代以降の三つの流れ』(第三書館、2016年)
1990年代以降の日本のナショナリズムを「普通の国のナショナリズム」(1990年代前半)、「ネオ・ナショナリズム」(90年代後半)、「親ナチズム的ナショナリズム」(2000年代前半)の三つの潮流にまとめている。扱われているのは、代表的な政治家(小沢一郎や安倍晋三など)、知識人(小林よしのり、西部邁など)の言説である。

●加藤典洋『アメリカの影』(筑摩書房)

文学や評論をの解読を通じて、戦後日米関係の意味を抉り出した画期的な書。また、この本を読んで私(=佐藤)は、はじめて江藤淳という評論家の言論の意味が理解できるようになった。それ以来、江藤淳を愛読するようになった。ただ、加藤典洋氏本人の議論については、その「ナイーブさ」に少々付いていけないところがある。

坂下雅一『「沖縄県民」の起源 戦後沖縄型ナショナル・アイデンティティの生成過程 1945-1856』(有信堂、2017)
沖縄のナショナル・アイデンティティを日本と沖縄・琉球双方への帰属のベクトルを組み合わせた「複合ヴィジョン」としてとらえる。沖縄における「我々」理解の型を明らかにした分析。(『琉球新報』に本書の書評を寄稿した。)

白井聡『国体論 菊と星条旗』(集英社新書、2018年)
象徴天皇制の下でも「国体」は続いていたという大胆な仮説のもとに、戦前から戦後にかけての「国体」の歴史をたどったもの。「国体」論の新展開と
いえるだろう。

先崎彰容『ナショナリズムの復権』(ちくま新書、2013年)
 「被災者借り上げ住宅を出てから九ヶ月目に」という最後の文句に、この本の全体にみなぎる異様な熱気の理由をうかがうことができる。「東日本大震災による二万人近い死者をどう弔うのか」。震災後の「戦後」をわれわれはどう乗りきるのか。そこで著者が必要と考えるのが「ナショナリズムの復権」なのである。「復権」すべきナショナリズムについて著者は、①ナショナリズム=全体主義、②ナショナリズム=宗教、③ナショナリズム=民主主義という三つの「誤解」をただし、ナショナリズムとはもっとも根本的には、われわれの「価値の体系」であると主張する。そして著者は、「ナショナリズムの本当の姿」を探し出すために、ハンナ・アーレント、橋川文三、丸山真男、吉本隆明、柳田国男、江藤淳らの思想の「細部にまで分け入り」、現代人にとってのナショナリズムはどのようなものである(べき)なのかを明らかにしていく。私自身は、このような思想史的ナショナリズム論には疑問を感じているタイプなので、思想家の思想を解明することによってナショナリズムが「復権」できるとは、正直思っていない。ただ、戦後の日本で今でも根強いナショナリズムへの誤解を解くという点では、一定の意義のある著作だと思う。吉本や柳田については、私自身詳しくないので、本書での議論の妥当性はよくわらないが、江藤淳と丸山真男の江戸の思想家についての異なったスタンスの比較論はとても面白かった(というのも、おそらく私自身が江藤と丸山の著作には比較的親しんでいるからだろうが)。
私自身、この書にみなぎる「熱気」にはとてもついていけないのだが、全体として、「日本人自身が日本という国をどうしたいのか」という問いが、現在様々な場面で(震災後の復興のみならず、TPPや領土問題、沖縄の基地問題や特定機密保護法をめぐる政争の中で)問いかけられているという著者の問題意識には共鳴するものを感じる。ただ、そこで「復権」するべきナショナリズムとは何なのか。これは本書が読者に問いかける課題であろう。

藤井聡『新幹線とナショナリズム』(朝日新書、2013年)


●安田浩一『ネットと愛国 在特会の「闇」を追いかけて』(講談社、2012)
 インターネットから生まれた右翼団体「在特会」の姿を、ていねいな取材をもとに描き出した。色々な意味で世の中で「うまくいかない」若者たちの憤り、劣等感、孤独感を、在特会が「救って」来たのではないかと、著者は推察している。動画などで外から傍観する限り、在特会のアジテーションは目と耳を背けたくなるほどに下品極まりないものだ。だが、なぜそのような集団に少なからぬ若者がひきつけられているのかということを、著者は探り出そうとする。その著者の「愛」が、とても感銘深い。
 著者は、在特会にひきつけられる理由として「存在を認められたい」という承認への欲望があると指摘する。紹介されているインタビューから、その指摘は十分に説得力をもっている。だが、その欲望がなぜ在日朝鮮人への攻撃へと向かうのか、今後解明していくべき点は多い。『朝日新聞』での大澤真幸氏の見事な書評も合わせて読むとよい()。
 ところで、在特会のリーダーである桜井誠という人物、学生時代は目立たない学生だったという。それがある時から演説の「達人」に変貌する(確かにこの人物の演説は聞いていてわかりやすいし、面白い)。私はこの本でこのことを知った時、咄嗟にアドルフ・ヒットラーのことを思い出した。おそらくは買い被りすぎだろうが、穏やかに始まりならがらもいつのまにか高揚し、周囲の反応とともに自己陶酔し、声を高らかに張り上げる様など、どことなく似ているところがある。

安田浩一『「右翼」の戦後史』(講談社、2018)
血盟団などの戦前の右翼から現代の「日本会議」や在特会、ネット右翼に至るまでの日本の右翼の変遷の歴史を、当事者たちへの豊富な取材を中心にしてまとめた読み応えのある著作である。右翼と暴力、右翼と排外主義といった様々な興味深い観点を掲げながら、右翼の変化がわかりやすく論じられている。特に「ヘイトスピーチ」が現代のネット右翼に際立った特徴であり、ネット右翼の跋扈により日本の右翼のみならず日本社会全体が差別と排他のポピュリズムへ堕していく様を指摘しているところが印象に残る。「かつて野村秋介が表現した「民族の触角」は、より醜悪な形で安直なポピュリズムに出したといえよう。触角どころか世間の、いや、国家権力の番犬だ」と筆者は述べる。


●山本英治『沖縄と日本国家』(東京大学出版会、2004)

●山崎望編『奇妙なナショナリズムの時代 排外主義に抗して』(岩波書店、2015)
近年の日本、西欧、オーストラリアなどで見られる移民排外主義を論じた論文を集めた、若手研究者による論文集。近年の排外主義が、編者の山崎氏により「奇妙なナショナリズム」ととらえられている。「奇妙な」とは、従来のナショナリズムのカテゴリーではとらえられない特性を持っているからであり、その特性は国民国家の自明性が揺らいでいるなかであえて「ナショナル」なものの再定式化を行いながらも、ネーションの自律や統合といった実質的なナショナリズムの目標を目指いしていないところにあるとされる。たしかにこのような「奇妙さ」が、近年の排外主義的な右翼ポピュリズム的運動をとらえにくくしているのかもしれない。収録された各論文はどれも力作である。

●吉野耕作『文化ナショナリズムの社会学』(名古屋大学出版会、1997)
日本人論をナショナリズムととらえ、ビジネス・エリートや教育者による日本人論の「消費」の仕方を分析したもの。私の書いた書評があるので、参考していただきた。吉野氏はLSEで博士号を取得した社会学者。原著は英語でCultural Nationalism in Contemporary Japan: A Sociological Enquiry (Routledge, 1992)(上記参照)だが、日本語版には原著にはない日本語論文も含まれている。ただ、原著には紹介されている数多くのインタビューの記録が日本語版ではほとんど省略されている。そのため、原著の詳細な分析が不足してみえる結果になっている。スペースの関係でこういう編集になってしまったのか。やや残念である。

●和田春樹『北方領土問題を考える』(岩波書店、1990)
 日本の北方領土についての立場(「北方四島は日本固有の領土」)に根本的な再考を迫る、画期的論考。名著といってよいだろう。1955年に始まる日ソ交渉の中で、それまで獲得目標としてた歯舞色丹返還(これを日本政府は、サンフランシスコ条約で放棄していない領土とみなしていたため)を撤回し、日ソの平和条約妥結を阻止するためにあえて「四島返還」論がもちだされた過程を、外交官や政治家、新聞記者の回想録などを用いながら綿密に描き出している。
 日本政府は当初、歯舞色丹二島返還さえ極めて困難であるという予測をもっていた。しかし1955年6月にロンドンではじまった交渉の中で、ソ連は松本俊一全権大使に対し「歯舞、色丹を日本に引き渡してもいい」という驚くべき譲歩案を提示してきたのである。それに対し、国後、択捉を含む北方四島返還論が、交渉妥結を阻止する手段として、外務省からの新方針として提示されることになる。この新方針は1955年8月27日にロンドンに打電された。「かくして四島返還論が日ソ交渉に登場することとなった」(171頁)。国是としての四島返還論の誕生の瞬間である。その後外務省は、『朝日新聞』を中心としたメディアを通して、四島返還論に向けての国民世論の醸成をはかった。1956年7月にモスクワで交渉が再開された時点で、「南千島まで」61.4パーセント、「歯舞色丹で妥協」10.5パーセントとなっていた(『毎日新聞』調べ)。ちなみに、交渉がはじまったばかりの1955年8月には全旧領土53パーセント、全千島23パーセント、歯舞色丹5パーセントで、「南千島」(すなわち四島返還)はゼロだったのである(『読売新聞』調べ)。政府のメディア戦略は大成功だったといってよい。このような外務省(および外務省と深いつながりを持つ吉田茂を中心とする勢力)の方針転換の背景には、日米同盟堅持、反ソ反共という当時の外交政策の大方針があったことはまちがいない。もちろん、アメリカもそれを支持した。単に支持しただけでない。モスクワ交渉で日本全権を担った外務大臣の重光葵が、一時歯舞色丹返還でソ連と妥結をはかろうとした際、国務長官ダレスは重光に対し、驚くべき「恫喝」まで行う。「日本が国後、択捉をソ連領として認めれば、アメリカは沖縄を永久に領有する」と。当時の米ソ冷戦ののなか、日本がアメリカを出し抜いてソ連と平和条約を締結するなどという「自主外交」をアメリカが許すわけがない。それを考えれば、ダレスの「恫喝」も、アメリカとしては当然の反応だっただろう。著者の和田春樹氏は、このダレスの「恫喝」を、モスクワに同行した『産経新聞』記者、久保田正明氏の『クレムリンへの使節』、重光とともに全権を担った外務省の松本俊一著『モスクワにかける虹』を参照しながら明らかにしているが、アメリカ時代に和田氏のこの著作を読んで衝撃を受けた私(=佐藤)は(私が領土問題に関心をもつようになったきっかけの一つでもある)、この「恫喝」の証拠を、公表されているアメリカ外交文書(Foreign Relatiions of the United States)のなかにある一文書で確認したことがある(おそらく、まだどこかにそのコピーが、研究室のどこかにあるはずだ)。じつに生々しい文章が記されている。
 最近、元外交官の孫崎享氏『日本の国境問題――尖閣・竹島・北方領土』(ちくま新書、2011)のなかで、やはり日ソ交渉なのかで四島返還論が主張されるようになった経緯について論じている。その内容な和田氏の1990年議論を基本的に支持するものになっているが、その詳細さにおいてこの和田氏の研究には及ばない。また、孫崎氏の議論は、アメリカの圧力の方により大きな比重が置かれ、ダレスの「威嚇」が日本政府の方針の変更に大きな作用をおよぼしたような書き方がされている。しかし和田氏の著作を読む限り、むしろ日本の外務省や吉田派が、ソ連との妥協を阻止したいという利害関心から、自ら四島返還論を固めていったという印象を受ける。おそらくは、アメリカの意向を探りながら、日ソ交渉妥結を自ら「自粛」したというのが真相なのではなかろうか。私はそう見ている。自著『ナショナル・アイデンティティと領土』の「補論」のなかでも、そういう見方に立って書いた。
 いずれにせよ、日本にとっては残念なのだが、歴史的解釈に基づいた「固有の領土」論は、国際的には通用しにくい。なぜならば、ヨーロッパでこの議論を持ち出せば、現在の国境線のほとんどが紛争の火種になってしまうからである。国境線は、かつての状況がどうあれ、現在通用している国際条約によって規定される。そうなれば、サンフランシスコ条約で「千島列島を放棄した日本が、かつて「南千島」と呼ばれていた国後島、択捉島に対する領土要求を掲げることは、国際的に認められるはずがないということになる。もちろん、サンフランシスコ条約それ自体を認めないという立場もありうる(日本共産党がそうだ)。だが、そういう立場をとるとすると、日本の要求すべき範囲は、千島全島(さらには南樺太までも)含みうることになる。いずれにしても、国後、択捉がいくら日本と歴史的に深い関係があったとはいえ、その二島を含んだ「四島返還」論が国際的な認知をえるような議論として成立する可能性は著しく低いと言わざるを得ない。もちろん、それでも「歴史的に深い関係にある固有の領土が奪われてよいのか」という主張をしたくなる感情を、私も理解できる。だが、何よりも日本は、第二次大戦に敗戦したのである。大戦後の日本の領土問題は、まずこのことを出発点にしなければならない。それを忘れ、ただ「固有の領土」だけを主張するような子供っぽい姿勢はとるべきではない。それは竹島や尖閣問題に関してもいえることである。


●同上 『北方領土領土問題 -歴史と未来』(朝日新聞社、1999)
 
上記1990年の本を一般向きに書いているという趣があるが、この間9年間の間に和田氏のスタンスは変わっているようだ。1990年段階では、2島返還プラスαの主張をとっているように見えるが、、99年段階では4島返還に移っている。


Yuko Kawai, A Transnational Critique of Japaneseness: Cultural Nationalism, Racism, and Multiculturalism in Japan. Lexington Books, 2020.
 2000年代日本の「文化ナショナリズム」を「トランスナショナルな批判」的視点から分析したとされるもの。2000年に政府が発表した有識者によるレポート『日本のフロンティアは日本の中にある』、日系米人、日系ブラジル人をあつかったテレビドラマ、そしてケント・ギルバートの嫌中、嫌韓国本をとりあげている。「日本」「日本人」の概念が西洋や中国を「他者」として構築されるものとという観点から、日常のコミュニケーンのなかでの構築の様態が分析されている。英語で現代の日本のナショナリズムを論じたものとして貴重だし、分析も実証的にきちんとなされている。ゴールドバーグという人種主義の理論家(私は初めて聞く名前だったが)の枠組みを用いてケント・ギルバートの本を真面目に分析した第4章は読みごたえがある。だが、正直著者の枠組みは、1990年代に流行った「カルデュラル・スタディーズ」とそれほど大きな違いはなく、既視感がある。そのためか、議論の最初から結論が読めてしまう部分が多く(特に第4章など)、あまり「わくわく感」がない(というか、正直退屈である)。また、「日本」「日本人」の概念についてはその「構築性」が強調される一方で、「新自由主義」「新保守主義」などの概念は素朴に実体視されている。こういう「批判的」な分析の論法も、かつての「カルチュラル・スタディーズ」によく見られたものである。




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